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[[1958年]]自治国となり、[[1960年]][[8月3日]]に[[共和国]]として独立し、初代大統領には[[アマニ・ディオリ]]が就任した。[[1974年]]4月、[[陸軍]]の[[セイニ・クンチェ]]参謀長が[[クーデター]]で軍事政権「最高軍事評議会」を樹立し、同評議会の議長に就任。[[憲法]]は停止され、[[議会]]・[[政党]]活動も中止。[[1987年]][[11月]]にはクンチェが死亡し、[[アリー・セブ]]が後継者となった。
 
[[1989年]]9月の国民投票で新憲法が承認され、12月の選挙で[[アリー・セブ]]が[[大統領]]が選出され、形式的に民政移管。[[1990年]]、中央政府の資源独占に不満を持つ[[トゥアレグ|トゥアレグ族]]と{{仮リンク|トゥーブゥー人|en|Toubou people|label=トゥーブゥー族}}の反政府勢力との間で{{仮リンク|トゥアレグ抵抗運動 (1990年-1995年)|en|Tuareg rebellion (1990–1995)}}が勃発。[[11月]]に[[複数政党制]]を導入。12月に新憲法を国民投票で承認。[[1993年]][[2月]]の議会選で6党の連合体「変革勢力同盟」が、軍事政権時代の[[与党]]「[[社会発展国民運動]](MNSD)に大差で勝利。3月の大統領選では[[民主社会会議]](CDS)の[[マハマヌ・ウスマン]]党首が当選。[[1995年]]1月の総選挙では MNSD などの[[野党]]連合が勝利し、2月に[[ハマ・アマドゥ]]MNSD書記長が[[首相]]就任。4月、自治を求める[[トゥアレグ|トゥアレグ族]]および{{仮リンク|トゥーブゥー人|en|Toubou people|label=トゥーブゥー族}}反政府勢力と和平合意。
 
[[1996年]]1月、軍のクーデターで[[イブライム・バレ・マイナサラ]]陸軍参謀長を議長とする「救国委員会」が軍事政権を樹立。7月の大統領選でマイナサラ議長がウスマン前大統領をやぶり当選。12月マイナサラ大統領は救国委員会を解散、[[アマドゥ・シセ]]前経済相を首相に任命したが、[[1997年]]11月には野党との対立やストライキ問題を解決できないとして解任、[[イブライム・ハッサン・マヤキ]]外相を新首相に。
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