「ニジェール」の版間の差分

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16世紀前半にはソンガイ帝国に支配されたが、世紀末には帝国がモロッコに敗れ、崩壊した。19世紀末には、イギリスとフランスが進出し、[[1898年]]両国の協定によって[[フランス]]が[[20世紀]]までに全土を領有。[[1922年]]に[[フランス領西アフリカ]]の一部に再編された。
 
[[1958年]]自治国となり、[[1960年]][[8月3日]]に[[共和国]]として独立し、初代大統領には[[アマニ・ディオリ]]が就任した。[[1974年]]4月、[[陸軍]]の[[セイニ・クンチェ]]参謀長が[[クーデター]]で軍事政権「最高軍事評議会」を樹立し、同評議会の議長に就任。[[憲法]]は停止され、[[議会]]・[[政党]]活動も中止。[[1987年]][[11月]]にはクンチェが死亡し、[[アリー・セブ]]が後継者となった。
独立によって[[トゥアレグ|トゥアレグ族]]居住地は、[[マリ共和国]]・[[アルジェリア]]・ニジェールに分割されて抗議の声が高まり、さらに冷戦下で重要性の高まっていた[[アガデス州]]の[[アーリット]]と[[アクータ鉱山]]から産出する[[ウラン]]の軍事的重要性などの複合的な要因から、{{仮リンク|第1次トゥアレグ抵抗運動|en|First Tuareg Rebellion}} (1962年-1964年)が勃発した。産出するウランの一部は日本に出荷されている。
[[1974年]]4月、[[陸軍]]の[[セイニ・クンチェ]]参謀長が[[クーデター]]で軍事政権「最高軍事評議会」を樹立し、同評議会の議長に就任。[[憲法]]は停止され、[[議会]]・[[政党]]活動も中止。[[1987年]][[11月]]にはクンチェが死亡し、[[アリー・セブ]]が後継者となった。
 
[[1989年]]9月の国民投票で新憲法が承認され、12月の選挙で[[アリー・セブ]]が[[大統領]]が選出され、形式的に民政移管。[[1990年]]、中央政府の資源独占に不満を持つ[[トゥアレグ|トゥアレグ族]]と{{仮リンク|トゥーブゥー人|en|Toubou people|label=トゥーブゥー族}}の反政府勢力との間で{{仮リンク|トゥアレグ抵抗運動 (1990年-1995年)|en|Tuareg rebellion (1990–1995)}}が勃発。[[11月]]に[[複数政党制]]を導入。12月に新憲法を国民投票で承認。[[1993年]][[2月]]の議会選で6党の連合体「変革勢力同盟」が、軍事政権時代の[[与党]]「[[社会発展国民運動]](MNSD)に大差で勝利。3月の大統領選では[[民主社会会議]](CDS)の[[マハマヌ・ウスマン]]党首が当選。[[1995年]]1月の総選挙では MNSD などの[[野党]]連合が勝利し、2月に[[ハマ・アマドゥ]]MNSD書記長が[[首相]]就任。4月、自治を求める[[トゥアレグ|トゥアレグ族]]および{{仮リンク|トゥーブゥー人|en|Toubou people|label=トゥーブゥー族}}反政府勢力と和平合意。
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