「バギオ」の版間の差分

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シスター海野は[[1973年]]に北ルソン比日友交協会を設立、[[1974年]]奨学金制度を始めるなど[[日系人]]の地位向上に尽力した。一方ではフィリピン人を貧困から救うため[[1983年]]に農業協同組合を創設するなどフィリピン人の生活向上にも多大に尽力し、バギオ市のあるベンゲット州から名誉州民の称号を贈られた。[[1989年]]シスター海野が死去した後、その活動はカルロス寺岡・寺岡マリエの兄妹、尾辻ヨシの各人に引き継がれ今日に至っている。バギオで彼らが辿った悲惨な過去に関わらず、その後の日系人社会の発展と現地のフィリピン人の生活向上に尽くしてきたことで、彼らは比日両国民から尊敬を集めている。
 
今でこそバギオに住む日本人は数十人しかいない。最盛期には目抜き通りの商店は数軒を除き全て日本人が経営していたらしい。今は逆に日本人経営の商店は1軒しかない。
 
このような歴史からバギオと日本人の関わりは非常に深いものがある。