「畠山政国」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
編集の要約なし |
||
28行目:
'''畠山 政国'''(はたけやま まさくに)は[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[武将]]。[[紀伊国|紀伊]]・[[河内国|河内]]・[[越中国|越中]]の[[守護大名]]、[[戦国大名]]。畠山尾州家の出身。
畠山氏は[[室町幕府]][[管領|三管領]]のひとつであり、政国はその嫡流筋である。しかし、幕政においては
天文14年([[1545年]])に兄の稙長が死去すると重臣の[[遊佐長教]]に当主として擁立されたが、兄が
天文19年(1550年)に没したといわれているが、天文21年(1552年)の段階で隠居として健在であった記録が存在するため、現在では天文年間末期頃の死没とする見方もある。また、兄弟の晴熙も播磨守を名乗っていたため、天文5年([[1536年]])から天文7年([[1538年]])までの晴熙の活動と政国の活動は混同されている<ref>弓倉、P258 - P263、P326 - P328</ref>。
|