「野沢尚」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
導入部修正、複数の問題テンプレ、ドラマ原案追記 |
→人物像: 文章修正 |
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==人物像==
*シナリオライターになろうとしたきっかけは、中学時代から[[映画監督]]志望で、[[8ミリ映画|8ミリカメラ]]で[[自主映画]]を作っていたが「映画はまずシナリオありき」と思い立ち、[[独学]]で始めたことであるという。
*シナリオの書き方
*実際にプロ
*遭遇したトラブルとして、脚本を現場で大きく変えられたことが2回あり、[[北野武]]の『[[その男、凶暴につき]]』は完成された映画が傑作だったので許しているが(ただし、2004年に『烈火の月』として自身で改稿前の脚本を元に小説化した)、[[村上龍]]に直された『ラッフルズホテル』は日本映画史上の汚点のような大駄作にされたことがあったことを挙げている。
*父親は
*[[TBSテレビ|TBS]]のプロデューサー[[貴島誠一郎]]とは、『[[この愛に生きて]]』([[1994年]]、[[フジテレビジョン|フジテレビ系]])、『[[恋人よ (1995年のテレビドラマ)|恋人よ]]』([[1995年]]、フジテレビ系)が[[長男の嫁|『長男の嫁』シリーズ]]と競合するなどライバル関係であったため、「彼からは絶対声がかからない」と思っていたという。だが、逆に貴島は以前から野沢に注目していたといい、後に
*自殺の2か月前に放送された『砦なき者』には、自殺を
*自殺した際には知人に「夢はいっぱいあるけど、失礼します」との遺書が残された。
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