「シリキウス (ローマ教皇)」の版間の差分

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{{ infobox 教皇
| 日本語名 = シリキウス
| タイトル = 第38代 ローマ教皇
| 画像 =
| 画像説明 =
| 就任 = [[384年]]
| 離任 = [[399年]]
| 先代 = [[リベリウス (ローマ教皇)|リベリウス]]
| 次代 = [[シリキウス (ローマ教皇)|シリキウス]]
| 司祭 =
| 司教 =
| その他 =
| 本名 =
| 生年月日 = 不明
| 生地 =
| 没年月日 = [[399年]][[11月26日]]
| 没地 = {{ITA}} [[ローマ]]
| 埋葬地 =
| 原国籍 =
| 宗派 =
| 居住地 =
| 親 =
| 妻 =
| 子 =
| 母校 =
| 署名 =
| 曖昧 =
}}
'''シリキウス'''(Siricius, ? - [[399年]][[11月26日]])は、第38代[[教皇|ローマ教皇]](在位:384年12月11日 - 399年11月26日)。
 
[[382年]]に[[古代ローマ]]の[[最高神祇官]]に、[[司祭]]として初めて任じられた(後に[[ローマ皇帝]][[グラティアヌス]]によって職を解かれた)。384年には、[[対立教皇]][[ウルシヌス (対立教皇)|ウルシヌス]]との選挙に勝って満場一致でローマ教皇に選出された。「教皇」という称号を名乗った初めての人物であり、[[教皇教令]]を発した初めての教皇でもあった。最初の教皇教令は[[ヒスパニア]]の[[タラゴナ]]の[[司祭]]に対するものだった。さらに聖職者の非婚に関する2つの教令を出した。
 
異端の同僚司祭に迫害されたヒスパニアの禁欲的な[[プリスキリアヌス主義|プリスキリアヌス派]]の司祭が[[西ローマ帝国]]の皇帝[[マグヌス・マクシムス]]によって[[魔術]]を行った罪で処刑された時、シリキウスは[[ミラノ]]の司教[[アンブロジウス]]と[[トゥールのマルティヌス]]を伴って、この判決に異議を唱えた。
 
シリキウスの祝日は[[11月26日]]である。