「チャールズ・ウォルコット」の版間の差分

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1927年にウォルコットが亡くなった後、彼の資料、写真、記録は1960年代後半になって新しい世代の古生物学者たちが興味を寄せるまで、スミソニアン協会に保管されていた。そして、彼の解釈の多くは訂正された。
 
もし、[[スティーヴン・ジェイ・グールド]]が『[[ワンダフルライフ (書籍)|ワンダフルライフ]]』(1989)で注意をひかなければ、ウォルコットは、これほど広く一般に知られることはなかったかもしれない。この本の中で、グールドは、自分の考えを前面に出し、「ウォルコットはバージェス頁岩の化石種の違いを発見できず、それらの化石を既存の[[ (分類学)|門]]に“[[靴べら]]で押し込んだ”」と批判した。しかし、これは[[バージェス動物群]]の特異性を強調するための[[レトリック]]的な面もある。たとえばこの本でグールドはウォルコットについて、バージェスの化石を岩の表面の模様のように判断し、立体構造をもつものと考えなかったと批判しているが、実際には彼はその分野では偉大な先達である。彼は1870年代に世界で最初に[[三葉虫]]の[[付属肢]]の構造を発表した。三葉虫の付属肢は普通の化石では失われていることが多い上、背甲の下に隠れているため存在しても見えないが、彼は化石内部の立体構造を解明するために連続切片を作るなど様々な技法を用いていこれを研究した。現在では、古生物学者の多くがウォルコットの記述と論理的な概念について、それほど否定的な見解を持っているわけではない。
 
バージェス山の一つの頂上に彼の名前が付いている。