「スマイリーフェイス」の版間の差分

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[[1972年]]、[[フランス]]の[[新聞]]紙上で「このマークが掲載されているページは明るい話題を提供しています」とアピールする[[アイキャッチ・マーク]]として、新聞記者[[フランクリン・ルフラーニ]]によって作られ登場した。その後、この新聞の読者へのプレゼントとしてバッジを製作、配布した際に「笑顔に似合う明るい色 、しかも目立つ色は何か」ということで[[太陽]]のイメージから黄色に決まったとされている。
 
しかし、既に1963年末、アメリカ国内で故ハーベイ・ボール氏によって創作・著作されたスマイリー・フェイスの大流行が起きていた。その後2人のフランス人がアメリカを訪問し、文具ショーでスマイルが大流行しているのを見て、帰国後その内の1人がフランスでスマイルの商標登録をした事が記録されている。
しかしながら、日本でも[[1971年]]に[[サンスター文具]]より発売されたバッジの存在により、 同様のキャラクターが既に存在していたことが判り、この説は疑問視されている。1970年に、サンスター文具の関係者が米国の「文具ショー」を見に行って、展示されていたスマイリー・フェイスのマークを真似たのだと「[[月刊ライセンシングブックス]]」1998年1月号で証言している。
 
しかしながら、日本でも[[1971年]]に[[サンスター文具]]より発売されたバッジの存在により、 同様のキャラクターが既に存在していたことが判り、この説は疑問視されている。1970年に、サンスター文具の関係者が米国の「文具ショー」を見に行って、展示されていたスマイリー・フェイスのマークを真似たのだと「[[月刊ライセンシングブックス]]」1998年1月号で証言している。
なお[[サンスター文具]]が商品化した際、「ラブピース」シリーズとして販売していたため日本ではこのマークが'''[[ピースマーク]]'''と間違って呼ばれることもある。しかし本来のピースマークとは全くの別ものである。