「アルノルト・ベックリン」の版間の差分
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[[アドルフ・ヒトラー]]も彼の作品を好み、収集していた(代表作である『死の島』の第3作を始め、11点所有していたと言われる)。
== 代表作 ==▼
* 『ヴァイオリンを弾く死神のいる自画像』(1872年)[[ベルリン美術館]]▼
* 『聖なる森』(1882年) バーゼル美術館▼
* 『波間のたわむれ』(1883年)ミュンヘン、[[ノイエ・ピナコテーク]]▼
* 『[[死の島 (ベックリン)|死の島]]』(この絵は1880年から1886年の間に5点が描かれている。)バーゼル美術館(1880年、111x155cm)、ベルリン美術館(1883年、ナツィオナール・ガレリー、プロイセン文化財国立美術館、[[アドルフ・ヒトラー]]が所有していたもの)、ニューヨーク・[[メトロポリタン美術館]](1880年)、[[ライプツィヒ造形美術館]](1886年)がそれぞれ所蔵(加えて、1945年以来所在不明(焼失?)のもの(1884年)が存在した)。それぞれが、同一のモチーフのバリエーションで、作品のサイズも技法も異なる。バーゼル美術館には、これと対比的な『至福の島』(「生の島」とも、1888年)というナイーフのような趣の作品もある。また、[[セルゲイ・ラフマニノフ|ラフマニノフ]]([[1909年]])、[[マックス・レーガー|レーガー]]([[1903年]])がこの絵に触発された[[交響詩]]を作曲していることでも知られる。『死の島』は、作家[[福永武彦]]の同名の小説のモチーフとしても使われている。彼は、「死の島」を言葉の音の上からも、原爆の投下を受けた「広島」のイメージに重ね合わせている。▼
== ギャラリー ==
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File:Cimitero Evangelico Agli Allori - grave - Arnold Böcklin.jpg|ベックリンの墓-2(Florence, Italy)
</gallery>
▲== 代表作 ==
▲* ヴァイオリンを弾く死神のいる自画像(1872年)[[ベルリン美術館]]
▲* 聖なる森(1882年) バーゼル美術館
▲* 波間のたわむれ(1883年)ミュンヘン、[[ノイエ・ピナコテーク]]
▲* [[死の島 (ベックリン)|死の島]](この絵は1880年から1886年の間に5点が描かれている。)バーゼル美術館(1880年、111x155cm)、ベルリン美術館(1883年、ナツィオナール・ガレリー、プロイセン文化財国立美術館、[[アドルフ・ヒトラー]]が所有していたもの)、ニューヨーク・[[メトロポリタン美術館]](1880年)、[[ライプツィヒ造形美術館]](1886年)がそれぞれ所蔵(加えて、1945年以来所在不明(焼失?)のもの(1884年)が存在した)。それぞれが、同一のモチーフのバリエーションで、作品のサイズも技法も異なる。バーゼル美術館には、これと対比的な『至福の島』(「生の島」とも、1888年)というナイーフのような趣の作品もある。また、[[セルゲイ・ラフマニノフ|ラフマニノフ]]([[1909年]])、[[マックス・レーガー|レーガー]]([[1903年]])がこの絵に触発された[[交響詩]]を作曲していることでも知られる。
==参考文献==
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