「エスコラピオス修道会」の版間の差分

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== 来日への過程 ==
1949年12月2日、[[スペイン]]・[[バスク自治州|バスク]]管区長フアン・マヌエル・ディアズ[[神父]]が、エスコラピオス修道会総会長ビセンテ・トメク神父宛に手紙を送った。その内容は、「日本の横浜教区に[[宣教師]]を送りたい」というもの。翌日の12月3日、同総会長神父は、バスク管区長宛に「横浜教区脇田司教と連絡をとって[[宣教師]]を送る約束をし、日本での宣教師の仕事を引き受ける」との手紙を送った。これら2通の手紙は、偶然にも行き違いだったが、バスク管区の神父達は神秘的な感じを受けた。そこで日本行きの志望者を募ったところ、26名にもなり、その中から、フェリチアノ・ペレス神父とペドロ・ルイス・ペレア神父が選ばれ、1950年9月21日スペインを発ち、10月3日に[[東京国際空港|羽田空港]]に降り立った。
 
== 外部リンク ==