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[[ファイル:Urasoe Yodore3.JPG|サムネイル|浦添ようどれ]]
'''浦添ようどれ'''(うらそえようどれ)は、[[沖縄県]][[浦添市]]にある[[琉球王国]]の[[陵墓]]。西室([[英祖 (琉球国王)|英祖]]王陵)と東室([[尚寧王]]陵)の二つの墓室を中心に墓庭、門、石牆(石垣囲い)からなる。国指定史跡・[[浦添城]]跡の一部。
 
==概要==
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浦添城跡北側崖下中腹に設けられた掘込墓である。ようどれは夕凪の意。別名極楽陵。墓庭から向かって右側が西室(英祖王陵)、左側が東室(尚寧王陵)と言われている。墓庭は一番庭、二番庭からなり、その周りを石牆、中御門が囲んでいる。外側にあった天然の岩からなる「あんしん御門」は戦争で破壊された。
 
西室には中国産の[[閃緑岩]]製の石[[厨子]][[石棺]])が3基ある。東室には閃緑岩製1基、微粒子砂岩(方音:ニービヌフニ)製1基、石灰岩製1基の計3基の石厨子がある。
 
戦前墓庭にあった石碑「ようとれのひのもん(極楽山之碑文)」には、「尚寧王は浦添から首里の王位に就かれた。ようどれは英祖王の墓であるからこれをきれいに修理するとともに、祖父([[小禄御殿]]二世・尚弘業、[[浦添王子朝喬]])と父(三世・[[尚懿]]王、与那城王子朝賢)の遺骸も葬った。ゆくゆくは尚寧王もここに入るだろう」という趣旨の内容が和文並びに漢文で石碑の表裏にそれぞれ記されていた。
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==参考文献==
*[[安里進]]『琉球の王権とグスク』 [[山川出版社]]〈日本史リブレット〉 2006年
*沖縄大百科事典刊行事務局編『沖縄大百科事典』 [[沖縄タイムス社]] 1983年
 
==関連項目==
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[[Category:沖縄県の墓陵]]
[[Category:沖縄県にある国指定の史跡]]
[[Category:浦添市]]
[[Category:琉球王国]]