「IBAFワールドカップ」の版間の差分

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[[ジョン・ムーアズ・トロフィー|第1回大会]]は{{by|1938年}}8月に[[イギリス]]で、[[野球イギリス代表|イギリス]]と[[野球アメリカ合衆国代表|アメリカ合衆国]]の対抗戦 "ジョン・ムーアズ・トロフィー" (John Moores Trophy)として開催され、イギリスが4勝1敗で勝利した。翌{{by|1939年}}には "アマチュア・ワールドシリーズ" (Amateur World Series)として[[第2回アマチュア・ワールドシリーズ|第2回大会]]が[[キューバ]]で行われ、イギリスに代わって中米の地元[[野球キューバ代表|キューバ]]と[[野球ニカラグア代表|ニカラグア]]が参加した。ここから参加国は中米諸国が中心となり、中米地域での開催が続く。
 
{{by|1970年}}の[[第18回アマチュア・ワールドシリーズ|第18回大会]]には[[野球イタリア代表|イタリア]]と[[野球オランダ代表|オランダ]]が初参加し、ヨーロッパから実質的に初めての出場国が登場した。さらにその2年後、{{by|1972年}}の[[第20回アマチュア・ワールドシリーズ|第20回大会]]にはアジアからの初出場国として[[野球日本代表|日本]]も大会に参加した。だがこの第20回大会の開催国だった[[ニカラグア]]で、閉会式から18日後の12月23日に大地震が発生する。これによりニカラグアに義務付けられていた国際野球連盟の[[FIBA(野球)|FIBA]]への大会決算報告が遅れたことで、連盟内で[[マヌエル・ゴンザレス・ゲラ]](キューバ)と[[カルロス・J・ガルシア]](ニカラグア)の対立が先鋭化、最終的にガルシアを支持するグループがFIBAから離脱して[[FEMBA]]という新組織を結成し、連盟が2つに分裂することになった<ref>軍司1992、112-121頁。</ref>。{{by|1973年}}にはFIBAによる[[第21回アマチュア・ワールドシリーズ|アマチュア・ワールドシリーズ]]とFEMBAによる[[第22回世界野球選手権|世界選手権]](World Championship)の2大会が行われ、FEMBAは翌{{by|1974年}}にも[[第23回世界野球選手権|世界選手権]]を[[アメリカ合衆国]]で開催した。
 
2連盟の分裂状態は、FIBAに加盟しながらもFEMBA加盟諸国ともパイプを持つ[[メキシコ]]の[[ミゲル・オロペサ]]による仲裁を経て<ref>軍司1992、156-160頁。</ref>、{{by|1976年}}1月に統一組織[[ANIBA]]を設立したことで解消された。大会は世界選手権として、{{by|1978年}}には[[第25回世界野球選手権|第25回大会]]が[[イタリア]]で、{{by|1980年}}には[[第26回世界野球選手権|第26回大会]]が[[日本]]で、{{by|1982年}}には[[第27回世界野球選手権|第27回大会]]が[[大韓民国|韓国]]で、というように[[アメリカ州]]以外でも開催されるようになっていった。{{by|1988年}}、10年ぶりのイタリア開催となった[[第30回IBAFワールドカップ|第30回大会]]から名称がワールドカップに変更された。