「アイザイア・トーマス」の版間の差分

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:3年ぶりにNBAのヘッドコーチに就任。フロント職との兼任である。ニックスは再編期であると同時に長らく低迷しており、その手腕に期待が掛かった。
:しかし、[[2007-2008シーズンのNBA|2007-08シーズン]]にはマーブリーの無断離脱に対して明確な処罰を与えないなど、チームを統率できずにケミストリが崩壊。成績とサラリー総額が反比例する結果に終わった。
:[[2008年]]、シーズン終了直前に就任した前[[インディアナ・ペイサーズ]][[CEO]]の[[ドニー・ウォルシュ]]にチームプレジデントの座を奪われ、17日後にはヘッドコーチの地位も取り上げられた。その後、ドニー・ウォルシュ直属の部下(コンサルタントとしてニックスに残留も、選手たちとの接触を一切禁じられた。
;フロリダ国際大学(FIU)のヘッドコーチ
:2009年4月にFIUのヘッドコーチに就任する。最初の一年の給料を学校に変換して、「私はお金の為にここに来たのではない」と宣言した。(大学のコーチ就任中ニックスがトーマスを新人発掘コンサルタントとして採用することを発表したが、その後ニックスと合意に達したばかりのコンサルタント契約を解消した。NBA関係者がドラフトにエントリーする前の選手たちとの接触を禁止しており、トーマスの立場はNBAから規則違反だと判断されていた。)3年のコーチ期間中の成績は不振で解雇。