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'''入植地'''(にゅうしょくち)とは、[[植民]]ないし[[開拓]]の
==概要==
[[開拓]]などの為に、[[移住|移り住む]]地の事。その移り住んだ人は「[[移民]]」・「[[開拓者]]」・「入植者」とも呼ばれる。
[[日本]]では、[[北海道]]の開拓において、移住してきた土地を入植地と称することがある<ref>例:[http://www.tokachi.pref.hokkaido.jp/d-archive/sityousonsi/nakasatsunai_gaiyou.html 新中札内村史_概要・入植者の経緯]</ref>。[[明治]]には、北海道開拓の為に[[屯田兵]]を募り、琴似屯田兵村などで効果を上げた。明治29年([[1896年]])には[[会津若松]]により、入植を行うための「会津植民組合」が設立されて開拓を行い、その入植地は久遠郡せたな町に地名としても残っている。北海道の[[新十津川町]]は、[[十津川村]]の村民が集団移住し開拓した町である。[[徳島県]]には「徳島県北海道移住関係資料」がある。また、上田静一([[小学校]]教師)によって率いられて大正期に京都の被差別部落から人々を集めて実行された北海道移住<ref>大薮岳史著「北海道移住と上田静一」</ref>などの過去から、明らかにしない場合もある。それでも、「公道」第2巻8号1915年2月では、大江氏や岡本氏は滋賀県と相談し移住地も調査した上で著述を行い機関誌でも入植地の状況や移住事業の様子が報告されている。
国際的には、[[植民地]]と同じ意味で使われることもる。[[第二次世界大戦]]後の国際情勢を論じる場合、中東にある[[ヨルダン川西岸地区]]および[[ガザ地区]]における「[[ユダヤ人]]入植地区」を指すことが
==関連項目==
*[[開拓使]] - [[1868年]]に[[明治維新]]が成立し、[[北海道]]の開拓の為に接地された[[日本]]の[[官庁]]は「[[北海道開拓使]]」とも呼び、日本各地から人々を呼び寄せる移民政策を行った。北海道には現在でも「北海道開拓記念館」があり、「一般財団法人北海道開拓の村」も存在している。
*[[移住]]▼
*[[オキナワ移住区]]
*[[先住民]]
*[[植民地]]
▲*[[移住]]
== 出典 ==
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