「ジローラモ・フレスコバルディ」の版間の差分
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'''ジローラモ・フレスコバルディ'''('''Girolamo Frescobaldi''', [[1583年]]9月 - [[1643年]][[3月1日]])は、初期[[バロック音楽]]の[[作曲家]]。声楽曲も遺しているが、とりわけ[[鍵盤楽器|鍵盤楽曲]]の[[作曲家]]として重要。
[[フェラーラ]]に生まれる。地元フェラーラで、有名な[[作曲家]]で[[オルガニスト]]の[[ルッツァスコ・ルッツァスキ]]に学ぶ。当時フェラーラに滞在中の[[カルロ・ジェズアルド|ジェズアルド]]にも影響されたかもしれない。庇護者エンツォ・ベンティヴォーリョの援助で、[[1607年]]春に、[[ローマ]]のサンタ・マリア・イン・トラステヴェーレ教会の[[オルガニスト]]の座を射止める。同年、[[
フレスコバルディの大多数の作品は、[[オルガン]]や[[チェンバロ]]のために作曲され、[[トッカータ]]、[[奇想曲|カプリッチョ]]、[[幻想曲|ファンタジア]]、[[カンツォーナ]]、[[リチェルカーレ]]、[[舞曲]]、[[変奏曲]]などがある。
フレスコバルディは、[[テンポ]](速度)について近代的な考え方をした革新者の一人であり、厳格な[[タクトゥス]]による[[メンスーラ|白譜定量記譜法]]と、作品中での加速と減速によって特徴付けられるテンポという近代的な概念の、いわば中間の考え方をした。
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