「木村定跡」の版間の差分

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|▲角<br />図3(升田定跡基本図)}}
 
'''木村定跡'''('''きむらじょうせき''')は、初代実力制[[名人]]・[[木村義雄]]が発表した[[将棋]]の[[定跡]]。[[角換わり]][[腰掛け銀]]の定跡で、先手勝利まで研究が終わっている事から、完成された定跡とも言われている。
 
==手順==
===基本1まで===
初手▲7六歩から始まり、△8四歩▲2六歩△3二金▲7八金△8五歩▲7七角△3四歩▲8八銀△7七角成▲同銀△4二銀▲3八銀△7二銀▲4六歩△6四歩▲4七銀△6三銀▲6六歩△5二金▲5八金△4一玉▲6八玉△5四銀▲5六銀△3一玉▲7九玉△1四歩▲1六歩△9四歩▲9六歩△7四歩▲3六歩△4四歩▲3七桂△7三桂▲2五歩△3三銀▲8八玉△2二玉(図1)3)と進む。ここから▲8八玉△2二玉(図1)の交換を入れ、先手が▲4五歩突き捨てから戦端を開く事となる。
 
===投了まで===
図1から、先手は▲4五歩△同歩▲3五歩と仕掛けて先手の勝勢。以下、△4四銀<ref>△同歩は、▲4五桂△同銀▲同銀△3七角▲2九飛△4六角成▲5六銀打の手順で先手優勢。</ref>▲7五歩△同歩▲1五歩△同歩▲2四歩△同歩▲同飛△2三歩▲2八飛△6三角<ref>手持ちの角を温存し△6三金の変化は升田流では有効であるが、木村定跡では▲1五歩△同歩▲7四歩△同金▲4一角があり先手優勢。</ref>▲1三歩△同香<ref>△同玉は、▲1五香△1四歩▲同香△同玉▲2二歩△同金▲3六角で先手優勢。</ref>▲2五桂△1四香<ref>ここで△2四歩は、▲1三桂成△同玉▲1五香△1四歩▲同香△同玉▲1二角で先手勝勢。</ref>▲3四歩△2四歩<ref>△4三金右とする手は、▲3三歩成△同桂▲同桂△同金上▲2六桂と進めて先手優勢。</ref>▲3三桂成△同桂▲2四飛△2三金▲1一角<ref>△同玉は▲2三飛成で万事休す、△1三玉は▲3三歩成が決め手となり、飛車とと金の何方を取っても先手勝勢。</ref>△3二玉▲3三歩成△同銀▲4四桂△同銀▲2三飛成△同玉▲4四角成(図2)が代表的な[[投了]]までの手順。図2以降、△4三金としても▲4五銀△4四金▲同銀で振りほどけない。
 
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==略歴==
===誕生秘話===
この定跡誕生の切っ掛けは、常勝将軍の異名を持っていた木村を倒すため、若手達が躍起になったことから始まる。躍起になった若手が打倒木村の有力候補としたのが、持ち時間の短い将棋に有利な角換わり腰掛け銀戦法であり、コレに苦戦を強いられた木村は、第6期名人戦で[[塚田正夫]]に2勝4敗で破れ名人位を奪われてしまう。この苦を切っ掛けとし実戦譜を参考に考え出したのがこの定跡であり、現在でも先手必勝で間違いないと言われている。
 
===問題点===
この様に、基本形態である図1になった瞬間に後手敗戦がほぼ決定することから、後手はこの形を避けなければならない。そもそも△2二玉と囲いに入るのが敗着なので、コレを省略し△6五歩と後手側が木村定跡の攻めを仕掛けると後手が良いのではないかと考えられている。ただし、木村定跡では先手が[[飛車]]を捨てるのだが、後手が△6五歩と先攻した場合は玉が3一にいる為、飛車を持たれると[[王手]]がぐにかるため為に捨てにくい。そう言う訳で、△6五歩で後手が勝てるのかは多少疑問が残るが、先手にとって後手から先攻されるのは面白くないし、この形では攻めている方が工夫しやすいなどの理由で、先手も▲8八玉を指さなくなった。とどのつまり、『先手の疑問手(▲8八玉)に後手が付き合う(△2二玉)』と言う条件がつくのが、木村定跡最大の欠点とも言える。
 
===その後===
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==関連項目==
*[[木村義雄]](定跡創始者)
*[[升田幸三]](升田流腰掛け銀考案者)
*[[島朗]](『角換わり腰掛け銀研究』著者)
 
{{将棋の戦法}}