「バジル・ザハロフ」の版間の差分

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'''ザカリアス・バジレイオス・ザハリアス'''あるいは'''ザハロフ'''(Zacharias Basileios Zacharoff, [[1849年]][[10月6日]] - [[1936年]][[11月27日]])は、[[トルコ]]生まれの[[ユダヤ人|ユダヤ系]]武器商人。[[ヴィッカース]]社など数々の武器製造業者の[[代理人]]として武器取引に関わり、[[死の商人]]の代表格と看做されると共に'''神秘の男'''と渾名された。
 
[[オスマン帝国]]治下の[[ムーラ (トルコ)|ムーラ]]<ref>[[アナトリア]]半島にある地名らしい『猶太禍の世界』204p</ref>で、[[ギリシャ]]商人の家に生を享ける。少年時代に[[イスタンブール|コンスタンティノーブル]]へと出て[[貿易商]]の伯父の許で働くも、店の資金を[[横領]]して[[ロンドン]]に逃亡。ザハロフは逮捕されて法廷に引き出されるも、横領した金は自分が正当に受け取る利益金の一部だと主張した。事態に蹴りをつけると彼はアテネに行き、現地の政界の有力者エチエン・スクルヂスに天賦の外交的才能を見込まれて[[スウェーデン]]の武器製造業者・[[トールステン・ノルデンフェルト|ソーステン=ノルデンフェルト]]社の代理人として店の主任に据えられた。[[露土戦争]]終局後の当時のギリシテネでは軍備拡張の機運が嵩じていた。しかしノルデンフェルト社は同業他社の[[クルップ]]に赴きシュナイダー、[[ヴィッカース]]と比較すると分が悪く、そこでザハロフは視点を変えて当時では珍しかった潜水艇をギリシャ軍相手政府武器売り込むこと活躍する一方で、成功した。さらに彼はそのギリシャと軍事的に対立していたオスマン帝国にも武器を売り込むなど同社の売り上げに貢献した。
 
その後、[[マキシム機関銃]]を発明した[[ハイラム・マキシム]]と邂逅し、やがてマキシム社をノルデンフェルト社と合同させると共に機関銃の売り込みで力を振るった。そのマキシム=ノルデンフェルト社も[[1897年]]にヴィッカース社に買収され、その代理人としてまた大株主としてザハロフは武器取引で重きを成した。こと[[第一次世界大戦]]では[[イギリス]]・[[フランス]]など連合国の武器調達に深く関わると共に、ギリシャの支援にも力を尽くした。だが[[希土戦争 (1919年-1922年)|希土戦争]]をめぐるザハロフの工作が議会で追及されるに至り引退を決意、[[モナコ]]に隠棲し[[モンテカルロ]]で没した。