「畠山政国」の版間の差分

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天文18年([[1549年]])に[[江口の戦い]]で長教が[[三好長慶]]と共に晴元派を打ち破り晴元が13代[[征夷大将軍|将軍]][[足利義輝]]と共に[[畿内]]から逃亡すると、長教と方針を巡り対立して出家、紀伊へ遁世した。引退後は政国の嫡男である高政が当主となっている<ref>弓倉、P238 - P246。</ref>。
 
天文19年(1550年)に没したといわれているが、天文21年(1552年)の段階で隠居として健在であった記録が存在するため、現在では天文年間末期頃の死没とする見方もある。また、兄弟の晴熙も播磨守を名乗っていたことと、かつて[[畠山弥九郎]]という人物が政国と同一人物扱いされていたため、天文5年([[1536年]])から天文7年([[1538年]])までの晴熙の活動経歴及び天文7年から10年([[1541年]])までの弥九郎の経歴と政国の活動経歴は混同されている<ref>弓倉、P258 - P263、P326 - P328。</ref>。
 
== 脚注 ==
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