「庶民院 (イギリス)」の版間の差分

誤消去とおぼしき部分の復活
(誤消去とおぼしき部分の復活)
 
その後、[[1295年]]に[[エドワード1世 (イングランド王)|エドワード1世]]が各州・特権都市から2名の庶民代表を州長官より国会へ派遣させ、これが「模範議会」として後世の[[議会]]召集のモデルとなった。
=== 庶民院の独立と発えた(議長を「speaker」と呼ぶのは、これに由来する)。<br>展 ===
'''庶民院の誕生'''<br>
議長は政治的に大変危険がつきまとい、多くの議長が国王の不興を買って殺された。有名な[[トマス・モア]]は議長在任中ではないが、その後大法官にまでなった後に[[ヘンリー8世 (イングランド王)|ヘンリー8世]]に殺された。
当初は庶民は貴族たちと一緒に会議を開いていたが、次第に別室で自分たちだけの協議をするようになった。その後国王と貴族が待つ本会議へ一同出向き、議長が代表して庶民の決議を伝えた(議長を「speaker」と呼ぶのは、これに由来する)。<br>
こういう歴史的経緯から、議長が選ばれた際には、新しい議長はその危険な職務を嫌がる仕草を見せ、それをまわりの議員が無理矢理議長席に連れて行くというパフォーマンスが儀式となって残っている。
議長は政治的に大変危険がつきまとい、多くの議長が国王の不興を買って殺された。有名な[[トマス・モア]]は議長在任中ではないが、その後大法官にまでなった後に[[ヘンリー8世 (イングランド王)|ヘンリー8世]]に殺された。<br>
こういう歴史的経緯から、議長が選ばれた際には、新しい議長はその危険な職務を嫌がる仕草を見せ、それをまわりの議員が無理矢理議長席に連れて行くというパフォーマンスが儀式となって残っている。<br>
 
'''[[大臣]]をめぐる国王との戦い~貴族院とともに'''<br>
[[イギリス革命]]、[[チャールズ1世 (イングランド王)|チャールズ1世]]、[[オリバー・クロムウェル|クロムウェル]]、[[名誉革命]]後の[[ホイッグ党 (イギリス)|ホイッグ]]時代
 
'''[[選挙権]]の拡大~国民による支持・[[政党]]の強化・[[内閣]]による指導'''<br>
[[グレイ伯チャールズ・グレイ|グレイ]]、[[ベンジャミン・ディズレーリ|ディズレイリ]]、[[ウィリアム・グラッドストン|グラッドストン]]、[[デビッド・ロイド・ジョージ|ロイド=ジョージ]]の「クーポン選挙」
 
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