「宮本洋二郎」の版間の差分

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== エピソード ==
*高校時代、冬場はボートで[[中海|錦海]]に出て、足腰を鍛練し体幹を強くしたことで、力強い投球が出来た。また、投球後は水道水で肘やをクールダウンしていたと言う。当時は「肩は冷やすな」という定説の中、今では当たり前となっているアイシングの理論を取り入れる先見の自論を持っていた。
*野球留学と思われているが、全く勝手な憶測である。当時尼崎地区は学区制が敷かれており、その影響による本人の意思とはそぐわない学校間同士のいざこざに嫌気がさし、親類を頼っての移住であった。また米子東高は県下有数の進学校で学力も伴わなければ進学できず、野球留学など受け入れていなかった。
*選抜のサヨナラ優勝本塁打は、すっぽ抜けのボールを打たれた。チームメイトの吹野勝主将は岡本監督の指示で後攻をとることが多かったため、打たれた宮本は、味方野手が肩を落として引き揚げてくるのを見て、「なんや、まだ裏があるやないか」と思ったという。それほど投球に集中していたのである。ちなみにこの決勝戦では、米子東は宮本のヒット1本のみに抑えられた。
*98年、[[広島県]][[三次市]]出身で[[近畿大学]]の大型遊撃手だった[[二岡智宏]]の獲得に奔走する。結果、二岡の入団は確実と見られていたが、巨人の札束攻勢により事態は一転する。近畿大学関係者から球団に入団断りの連絡が入ったが、宮本は「二岡本人から断りの言葉を聞かない限りは引き下がれません」と突っぱねた。しかし宮本へ二岡の言葉が伝わることは最後まで無かった。