「長宗我部兼序」の版間の差分

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通説によると、兼序は遂に自害して果て、兼序の遺児・千雄丸(後の[[長宗我部国親]])は戦場から落ち延びて[[一条房家]]を頼ったという。
しかし近年の研究によると、ここで兼序は自害せず土佐国内に亡命しており、永正8年([[1511年]])に本山氏や山田氏と和睦して岡豊城主復帰、永正15年([[1518年]])頃に息子・国親へ家督を譲っている<ref>「歴史人」2012年10月№25 戦国武将の全国勢力変遷マップ(KKベストセラーズ)85頁</ref>。
 
== 脚注 ==