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[[オックスフォード英語辞典]]では、ロビー (lobby) およびロビイスト (lobbyist) という単語の用法としてアメリカ合衆国が建国された時代における政治家の政治的影響力をあげている。ロビー活動は1869年から1877年の期間に政府を率いた[[ユリシーズ・S・グラント]]大統領の時代に本格化した。ヘビースモーカーであったが[[ホワイトハウス]]での喫煙を妻に禁止されていたグラントは、付近に存在する[[ウィラード・ホテル]]の[[ロビー]]で[[葉巻]]を楽しんでいた。彼がしばしばこの場所に出没することを知った関係者は、[[ニコチン]]の助けを借りて上機嫌な大統領への[[陳情]]をこのロビーで行うようになった。'''ロビー活動'''の語源はこれにあるとされる。
 
2005年7月に市民団体[[パブリック・シチズン]]は『議会からKストリートへの旅路』 ("The Journey from Congress to K Street") と題するレポートを発表した([[Kストリート (ワシントンDC)|Kストリート]]は[[ワシントンD.C.]] にある、シンクタンクやロビイストのオフィスが集まる通り)。[[ロビー活動公開法]]、[[外国代理人登録法]]の規制の下で提出されたロビイスト登録文書を分析したこの報告書は、1998年以後に退職した議員198名のうち 43% がロビイストに登録していることを明らかにした。[[ワシントン・ポスト]]紙はこのレポートに関して、ロビー活動に対する議員たちの態度が変化している事実を反映していると述べている。同紙によると、議員がロビイストになることは多くの議員自身にとって20年前には考えられなかったことであり、またそうした情勢の中でもロビイストに転化した元議員は怠惰であることが多く敬遠されていたと述べている。
 
レポートではロビイストの代表例として、1999年に下院議長の有力候補となりながら、セックス・スキャンダルに見舞われ議員を辞任した[[ボブ・リヴィングストン]]をあげている。辞任後に彼が設立したロビー会社は創業から6年間で年間4000万ドルもの売り上げを上げる企業に成長した。彼が妻とともに[[政治活動委員会]] (PAC; Political Action Committee) を通じて行った献金は50万ドルにも上るとされる。