「聖路加国際病院」の版間の差分

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聖路加国際病院の名称における「聖路加」正式な読みは「せいるか」であるが<ref>聖路加国際病院は[[東京都]][[知事]]を主務官庁として[[特例財団法人]]として登録されているが、「セイルカコクサイビヨウイン」という振り仮名になっている</ref>、「せいろか」の読が定着しており、職員もそのように発音していることがしばしばである。同様に、関連施設である[[聖路加看護大学]]<ref>[[文部科学省]]等に「セイルカカンゴダイガク」という読みで登録されている</ref>、[[聖路加ガーデン]]や[[聖路加レジデンス]]等も同様に「せいるか」の発音が正式である<ref>同レジデンスを運営している株式会社聖ルカレジデンスが「ルカ」を片仮名表記している</ref>。
 
せいろか== 歴史 ==
* [[1874年]]: 東京・築地の[[外国人居留地]]に、[[イングランド国教会|イギリス国教会]]長老派の[[宣教医師]][[ヘンリー・フォールズ]]が[[病院]]「[[健康社]]」を設立<ref name="hundredyears">100周年記念誌 『聖路加国際病院の一〇〇年』 聖路加国際病院</ref>
* 後に{{when|date=2011年9月}}「築地病院」と改称し<ref>後に[[東京都]]が設立する[[築地病院]]とは別である</ref>、築地近辺で転々と場所を移動した。フォールズはこの地で[[指紋]]捜査法を発見した
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* [[1933年]]: [[皇室]]・米国聖公会・米赤十字などの寄付により病院が再建され、聖路加国際病院及び'''聖路加国際医道院'''(St. Luke's International Medical Center)とする<ref name="hundredyears"/>。
* [[1943年]]: 戦時体制下で'''大東亜中央病院'''と改称する<ref name="hundredyears"/>
* [[1945年]]: 聖路加国際病院があることにより築地・明石町一帯は[[アメリカ軍]]機による[[東京大空襲]]による爆撃を免れ、(一説にはアメリカ軍が病院屋上より爆撃地点を確認したとの説がある。[[モー・バーグ]]参照)、日本の敗戦後には、日本を占領下においた[[連合国軍]]を構成する一員となったアメリカ軍|米軍]]に[[接収]]され、[[1955年]]まで[[米軍極東中央病院]]として使用されたた<ref name="hundredyears"/>
* [[1955年]]「本院」がアメリカ軍から返還され、現在の[[国立がんセンター]]中央病院がある場所に「聖路加築地分院」を開設して診療していた病院は現在地に戻った<ref name="hundredyears"/>。廃止された「分院」の方は、その敷地と施設において国立がんセンターが発足{{要出典|date=2007年10月}}して、その目的で使用されるようになり今日に至っている
* [[1963年]]: 付属の看護専門学校を改組し4年制の聖路加看護大学とする<ref name="hundredyears"/>
* [[1992年]]: 震災後の仮設病院跡地に新病院が完成<ref name="hundredyears"/>