「御殿山 (品川区)」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
m リンク追加 |
Darius~jawiki (会話 | 投稿記録) 編集の要約なし |
||
2行目:
== 歴史 ==
眼下に[[江戸湊]]を見下ろす高台で、[[江戸時代]]初期から[[徳川家康]]が建立したと伝えられる品川御殿があったためそう呼ばれる。[[徳川将軍一覧|歴代将軍]][[鷹狩]]の休息所として、また[[江戸幕府|幕府]]重臣を招いての[[茶会]]の場として利用されていた他、[[桜]]の名所として有名であったが、[[元禄]]15年(1702)2月11日[[四ッ谷]][[太宗寺]]付近の出火で麻布御殿ともに焼失、8月14日に廃止された。[[寛文]](1661-73)の頃から[[桜]]が移植され、文政7年(1824)の宿差出明細帳写(品川町史)によると御殿山の面積は11500坪で600本に及ぶ桜の名所として整備された。
[[幕末]]期には、国防のための[[台場]]建設用土砂採取場となり、山の北側(現在の北品川3丁目3番、4番付近〜北品川4丁目7番東側付近)がえぐられ窪地となった。
|