「石巻ハリストス正教会」の版間の差分

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'''石巻ハリストス正教会'''(いしのまきハリストスせいきょうかい)は、[[宮城県]][[石巻市]]にある[[キリスト教]]・[[正教会]]の[[教会]]。[[日本ハリストス正教会]]に所属している。なお、「[[ハリストス]]」は「[[キリスト]]」の意味である<ref group="†">「[[ハリストス]]」は、[[キリスト]]のギリシャ語表記"{{lang|el|Χριστος}}"のギリシャ語読みから転写された片仮名表記である。"{{lang|el|Χριστος}}"は古典ギリシャ語再建音では「クリストス」となるが、中世から現代に至るまでのギリシャ語の読みでは「フリストス」である。これを受けて[[ブルガリア]]・[[ロシア]]等の[[スラヴ]]語圏の多くで「フリストス」に類する発音がなされるようになり、日本正教会は[[正教会]]の一員として、これら正教会の優勢な地域の音を受け継ぎ、片仮名表記「ハリストス」を採用している。</ref>。
{{座標一覧}}
 
== 教会の歴史 ==
[[ファイル:Nicholas of Japan.jpg|thumb|right|120px|[[ニコライ・カサートキン|亜使徒聖ニコライ]]]]
[[1872年]]、[[ニコライ・カサートキン|亜使徒聖ニコライ]](ニコライ・カサートキン)<ref group="†">本項においては、登場する信徒名を原則として[[日本正教会]]の慣習に則り、「聖名・姓・名」の順で記載する。</ref>が全国宣教の拠点を[[東京府]]・[[神田駿河台]](現・[[東京都]][[千代田区]]神田駿河台)に置き、同年12月の第2回[[洗礼]]において[[宮城県]][[牡鹿郡]]湊村(現・[[石巻市]]湊)出身の信徒・セルギイ勝又昱が受洗した。これ以降、石巻近辺の各地に[[正教会]]の[[伝教師]](伝教者)が派遣されて宣教が行われた。
 
湊では伝教者ボリス山村の宣教によりモイセイ平塚恒次郎をはじめとする29名が[[1877年]](明治10年)[[1月8日]]に[[沢辺琢磨|パウェル沢辺琢磨]]神父巡回時に洗礼を受け、湊聖枝教会が設立された。石巻ではペトル朽木伝教者の宣教により、イオアン伊藤忠右衛門をはじめとする23名が同年[[12月11日]]に沢辺神父から洗礼を受け、教会が設立された。この時の設立時の名称は「石巻光明会」であった。
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[[2011年]](平成23年)[[3月11日]]、[[東北地方太平洋沖地震]]([[東日本大震災]])に伴う[[津波]]で被災し休館。2階まで冠水し、建物が傾き壁面が大きく破壊されるなどしたが流失は免れた<ref>{{PDFlink|[http://freesia.arch.ues.tmu.ac.jp/TohokuEQ2011/201104/msg200.1.pdf 石巻被災状況]}}</ref>。
 
[[2012年]](平成24年)[[4月11日]]から[[5月11日]]まで、修復資金を集めるためのライトアップパフォーマンスが実施されている<ref>[http://www.kahoku.co.jp/news/2012/04/20120412t15007.htm 光と音楽 保存訴え 津波被災、日本最古の木造教会]([[河北新報]] 2012年4月12日)</ref>。
 
=== 利用情報 ===
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=== アクセス ===
* [[ファイル:JR logo (east).svg|30px|link=東日本旅客鉄道|JR]][[仙石線]]/[[石巻線]]・[[石巻駅]]から[[徒歩所要時間|徒歩]]15分
 
=== ギャラリー ===
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== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
{{Reflist|group="†"|}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
 
=== 参考文献 ===
* 八木谷涼子・編『別冊太陽 日本の教会をたずねて II』平凡社 ISBN 4582921272