「西田隆男」の版間の差分
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政界入り当初は[[芦田均]]に近かった。やがて同じ筑豊の同業ライバルである[[麻生太賀吉]]が[[吉田茂]]側近として頭角を顕すと、これに対抗するため[[鳩山一郎]]・[[三木武吉]]の新党運動に接近し、巨額の資金提供を行ったといわれている。[[1954年]][[第1次鳩山内閣]]で[[国務大臣]]([[自治庁]]長官・[[行政管理庁長官]])、[[1955年]][[第2次鳩山内閣]]で労働大臣として入閣。
1967年9月21日死去。[[享年]]65。
{{先代次代|[[自治庁]]長官|1954-1955|[[塚田十一郎]]|[[川島正次郎]]}}▼
{{先代次代|[[行政管理庁]]長官|1954-1955|[[塚田十一郎]]|[[川島正次郎]]}}▼
{{先代次代|[[労働省|労働大臣]]|1955|[[高瀬荘太郎]]|[[倉石忠雄]]}}▼
{{厚生労働大臣}}▼
▲{{先代次代|[[自治庁]]長官|1954年 - 1955年|[[塚田十一郎]]|[[川島正次郎]]}}
▲{{先代次代|[[行政管理庁]]長官|1954年 - 1955年|[[塚田十一郎]]|[[川島正次郎]]}}
▲{{先代次代|[[労働省|労働大臣]]|1955年|[[高瀬荘太郎]]|[[倉石忠雄]]}}
▲{{厚生労働大臣}}
{{Japan-politician-stub}}
{{DEFAULTSORT:にした たかお}}
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