「セベソ事故」の版間の差分

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'''セベソ事故'''(Seveso disaster)(Seveso disaster) とは、[[1976年]][[7月10日]]に[[イタリア]]の[[ロンバルディア州]]、[[ミラノ]]の北25km付近に位置する[[セーヴェゾ|セベソ]]の農薬工場で発生した[[爆発]]事故である。代表的な[[ダイオキシン類|ダイオキシン]]である2,3,7,8-テトラクロロジベンゾ-1,4-ジオキシン ([[TCDD]]) が30kg~130kgの間で住宅地区を含む1800ヘクタール(新宿区に相当する)に飛散し、ダイオキシン類の暴露事故としては大規模なものとなった<ref>{{cite journal|url=http://www.ehponline.org/members/2003/6573/6573.html|title=Relationship of Serum TCDD Concentrations and Age at Exposure of Female Residents of Seveso, Italy|author=Brenda Eskenazi|coauthors=Paolo Mocarelli, Marcella Warner, Larry Needham, Donald G. Patterson, Jr., Steven Samuels, Wayman Turner, Pier Mario Gerthoux, and Paolo Brambilla}} ''Environmental Health Perspectives'' '''112''':22-27 (2004).</ref>。
高汚染地区は居住禁止・強制疎開などの措置が取られた。周辺地域では鶏、兎、猫等の家畜が大量死したり、奇形出生率が高くなった事が報告されている<ref>{{cite journal|url=http://www.city.yokohama.jp/me/kenkou/eiken/health_inf/info/daiokisin.html|title=横浜市衛生研究所 ダイオキシンについて}} </ref>。この事故を教訓として、[[欧州共同体|EC]]は化学工場の安全規制を定めた[[セベソ指令]]を定めている。
 
== 事故の概要 ==
=== 地理 ===
最も被害が集中したセベソ地区は、1976年時点で人口17,000人であった。その近隣の[[メーダ]](同19,000人)、[[デージオ]](33(33,000人)、[[チェザーノ・マデルノ]](34,000人)、[[バルラッシーナ]](6,000人)、[[ボヴィージオ=マシャーゴ]](11,000人)にも被害が及んでいる<ref>{{cite book|url=http://www.unu.edu/unupress/unupbooks/uu21le/uu21le09.htm|title=The long road to recovery: Community responses to industrial disaster. 4 Seveso: A paradoxical classic disaster|publisher=国連大学出版局|author=B. De Marchi|coauthors=S. Funtowicz, and J. Ravetz|year=1996}}</ref>。[[ジボダン|ジボダン社]]の子会社であるICMESA (Industrie Chimiche Meda Società) 社が所有していた問題の工場はメーダ近くに位置していた。工場が建設された時期は古く、地元の人もこの工場が危険性を孕んでいることに気付かなかった。
 
=== 化学反応 ===
事故が発生したB棟は、[[1,2,4,5-テトラクロロベンゼン]]に[[水酸化ナトリウム]]を反応させ([[芳香族求核置換反応]])、枯葉剤である[[2,4,5-トリクロロフェノール]] (TCP) を製造していた。TCPは消毒薬である[[ヘキサクロロフェン]]の原料としても利用される。
 
通常時では、反応釜の上部で、1,2,4,5-テトラクロロベンゼンの一部を溶解させ、水酸化ナトリウムと反応させていた。生じる反応熱によってさらに原料が追加され、反応温度が上昇するシステムであった。通常のTCP生産時であっても、何らかの金属による[[ウルマン反応|ウルマン縮合]]、または単純な芳香環への求核攻撃により、[[ppm]]単位のTCDDが副生成物として混入していた。