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退官後、[[1971年]](昭和46年)の[[参議院]]議員[[選挙]]に[[全国区]]から出馬し、[[全国農業者農政運動組織連盟]]に支援される形で初当選。後に[[愛媛県選挙区]]に移り連続当選3回。自民党内では[[中曽根康弘]]派に属し、[[1982年]]11月から[[1983年]]12月まで[[第1次中曽根内閣]]の[[郵政大臣]]を務め、[[日本電信電話公社|電電公社]]の民営化を決めた。このほか、参議院の大蔵[[委員会]]、[[議院運営委員会]]、[[予算委員会]]の各委員長を歴任。[[1989年]]([[平成]]元年)の参院選で自由民主党は[[リクルート事件#事件の影響|リクルート]]、農政批判、[[消費税]]の逆風を受け、連合候補の[[池田治]]に敗れ落選、政界を引退した。
 
「農政の大御所」、自民党きっての農政通といわれ、同党総合農政調査会長、党果樹農業振興議員連盟会長などの要職を務めた。[[1981年]](昭和56年)から[[全国農業会議所]]会長を21年間にわたり務め、農業近代化に尽くした。このほか、[[財団法人]]二十一世紀村づくり塾長、[[社団法人]]日本国際酪農連盟会長、社団法人農林放送事業団会長など、農業関係団体の役職を歴任。株式会社[[あいテレビ|伊予テレビ]][[取締役]]相談役など[[放送]]関係の役職にも就いた。亡くなるまで長年に亘り[[松山愛郷会]]会長も務めた。
 
1987年(昭和62年)勲一等[[瑞宝章]]、[[ドイツ]]連邦大功労十字賞、[[1993年]](平成5年)愛媛県功労賞、[[1995年]](平成7年)愛媛新聞賞、愛媛放送賞などを受けた。