「播磨鑑」の版間の差分

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このことより、少なくとも平野庸脩にとって、武蔵の出生地は自明の事(もしくは確定した事)と考えていたことがうかがわれる。但し、『播磨鑑』には異説もある事を明記して、異説については別途記載する事を述べているが、現時点では、平野庸脩が異説を記述した文献は見つかっていない。
武蔵の出生地については、一次史料においては、播磨国出身との記述しかなく、二次史料のうち、成立時期の早い部類に含まれる『播磨鑑』での記述により、出生地論争に一石を投じている。
 
==関連項目==
*[[家島十景]]
 
==外部リンク==