「国事御用掛」の版間の差分

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'''国事御用掛'''(こくじごようがかり)は、[[日本]]における[[江戸時代]][[幕末]]、[[1862文久]]2[[12月9日 (旧暦)|12月9日]]([[文久1863年]]2年)12[[1928]])、国事を議するために設けられた役職。同日付けにて廃止された[[国事御用書記]]の発展的改組ともいえる。同日付の「維新史料要綱」([[東京大学史料編纂所]]データベース)によれば、国事御用掛について「言路洞開(げんろとうかい)の聖旨(せいし)を廷臣に宣布し、所見あるものは御用掛を経て上申せしめ、予て軽挙妄動を戒慎せしむ。」とあり、該当の公家は下記の通りである。なお、[[慶応]]3年12月9日([[18671868年]])12[[193]])付けの「[[王政復古 (日本)|王政復古の大号令]]」により廃止された。
 
{| class="wikitable"
!就任者<br/>(名前の読み)||!!年齢<br />(就任時・数え年)||!!位階・官職<br />(就任時)||!!役職等||備考
|-
|[[近衛忠煕]]<br />(このえ ただひろ)||55歳||[[従一位]]・[[関白]]|| |rowspan="3"|&nbsp;
!就任者<br/>(名前の読み)||年齢<br />(就任時・数え年)||位階・官職<br />(就任時)||役職等||備考
|-
|[[近衛忠煕]]<br />(このえ ただひろ)||55歳||[[従一位]]・[[関白]]|| ||
|-
|[[一条忠香]]<br />(いちじょう ただか)||51歳||従一位・[[左大臣]]|| ||
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|[[二条斉敬]]<br />(にじょう なりゆき)||47歳||従一位・[[右大臣]]|| ||
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|[[久邇宮朝彦親王|尊融入道親王]]<br />(そんゆうにゅうどうしんのう)||39歳|| ||[[青蓮院]]門主||後の[[久邇宮朝彦親王]]<br />(くにのみやあさひこしんのう)
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|[[鷹司輔煕]]<br />(たかつかさ すけひろ)||56歳||従一位・前右大臣|| |rowspan="2"|&nbsp;
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|[[徳大寺公純]]<br />(とくだいじ きんいと)||42歳||[[正二位]]・[[内大臣]]・右近衛大将・右馬寮御監|| ||
|-
|[[中山忠能]]<br />(なかやま ただやす)||54歳||正二位・[[権大納言]]||rowspan="5"|議奏||
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|[[飛鳥井雅典]]<br />(あすかい まさのり)||38歳||[[従二位]]・[[権中納言]]||議奏||
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|[[正親町三条実愛]]<br />(おおぎまちさんじょう さねなる)||43歳||正二位・権大納言||議奏||
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|[[三条実美]]<br />(さんじょう さねとみ)||26歳||[[従三位]]・権中納言||議奏||
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|[[阿野公誠]]<br />(あの きんみ)||45歳||正四位下・参議・左近衛権中将||議奏||
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|[[長谷信篤]]<br />(ながたに のぶあつ)||45歳||[[正三位]]||議奏加勢||
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|[[坊城俊克]]<br />(ぼうじょう としかつ)||61歳||正二位・権大納言||rowspan="2"|[[武家伝奏]]||
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|[[野宮定功]]<br />(ののみや さだいさ)||48歳||正三位・参議・左近衛権中将||武家伝奏||
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|[[近衛忠房]]<br />(このえ ただふさ)||25歳||正二位・権大納言・左近衛大将・左馬寮御監|| |rowspan="2"|&nbsp;
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|[[一条実良]]<br />(いちじょう さねよし)||28歳||rowspan="2"|正二位・権大納言|| ||
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|[[広幡忠礼]]<br />(ひろはた ただあや)||39歳||正二位・権大納言rowspan="2"||議武家伝加勢||
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|[[三条西季知]]<br />(さんじょうにし すえとも)||52歳||正二位・権中納言||議奏加勢||
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|[[庭田重胤]]<br />(にわた しげたね)||42歳||従二位・権中納言|| ||
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|[[徳大寺実則]]<br />(とくだいじ さねつね)||24歳||正三位・権中納言||議奏加勢||
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|[[橋本実麗]]<br />(はしもと さねあきら)||54歳||従三位・[[参議]]・右近衛権中将・丹波権守|| |rowspan="10"|&nbsp;
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|[[柳原光愛]]<br />(やなぎはら みつなる)||45歳||従二位・[[検非違使]]別当・参議・右衛門督|| ||
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|[[大原重徳]]<br />(おおはら しげとみ)||62歳||正三位・左衛門督|| ||
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|[[河鰭公述]]<br />(かわばた きんあきら)||34歳||従四位下?・右近衛権少将|| ||
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|[[東久世通禧]]<br />(ひがしくぜ みちとみ)||30歳||正四位下・左近衛権少将|| ||
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|[[裏辻公愛]]<br />(うらつじ きんよし)||42歳||rowspan="2"|従四位下?・侍従|| ||
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|[[橋本実梁]]<br />(はしもと さねやな)||29歳||従四位下?・侍従|| ||
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|[[万里小路博房]]<br />(までのこうじ ひろふさ)||39歳||正五位上・検非違使権右中弁右衛門権佐|| ||
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|[[勘解由小路資生]]<br />(かでのこうじ すけより)||36歳||正五位下・中務少輔|| ||
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|[[姉小路公知]]<br />(あねがこうじ きんさと)||24歳||正四位下・右近衛権少将|| ||
|}
※人名のふりがなの多くは、『平成新修旧華族家系大成』(霞会館発行)を参考。