「理科離れ」の版間の差分

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理科離れに関する研究は、専門的な研究対象としても位置付けられている。研究者に対する研究助成金として最も重要と考えられている、文部科学省[[科学研究費補助金]]では、時限付き分科細目の科学高等教育の分野において'''数学嫌い'''、'''理科離れ'''の用語が使われており、大学教育の質の維持が著しく困難になっていると述べられている。また、文部科学省の科学技術・理科大好きプランでは'''科学技術離れ'''の用語も使われている。
現在の日本において、理科離れと無縁な理系職業と言えば、医学部(医師)ぐらいなものである。これは、今も昔も医学部医学科の倍率が高い(難関)ということからわかる。
 
==要因==
理科離れに関係がある要因として考えられているものは、大まかに以下のように分類できる。
 
===子供をめぐる状況===
====学習指導要領の変遷と理科・科学技術教育====
'''[[ゆとり教育]]'''の推進により学校の授業時間数が削減され、学習指導要領が定める[[教科書]]の内容も、従来と比較して内容がじりじりと減らされてきた。そのため、多くの観察・実験・資料・データなどから原理と法則を見つけ出し、じっくりと理解を深めるような授業を構成しづらくなり、テキスト上の[[暗記]]が重視される傾向にならざるを得ない。言い換えると、学習事項の削減は暗記事項を減らすことを目的にしていたにもかかわらず、逆に与えられた知識がぶつ切り化し、児童・生徒に多様な事象を相互に関連付けて体系付けることを困難にしてしまった。こうして学習事項の削減は体験による認識を欠き、むしろ無味乾燥な暗記を増やす結果を招いた。その結果、理科の楽しさや本質が伝えられにくくなっている。但し、こうした暗記偏重・知識偏重の傾向はゆとり教育推進以前からあり、それを是正するためにむしろゆとり教育が推進された経緯も否定できない。
 
またその一方では、旧来の学習指導で無味乾燥な暗記が偏重され過ぎた結果、「[[試験|テスト]]が過ぎれば忘れてしまう」程度の知識が重視されてしまった反省から、体験や観察を重視するカリキュラムへの移行が見られる。しかし依然として個人の内部において論理体系を育んだり、その原理を探求するといった、理科=科学の根底にある'''探求'''が等閑になっている傾向も見受けられる。
 
実験や観察の結果を考察し、そこから結論や真理を導き出す過程が欠落した結果、現象のみの知識だけを持ち、その理由に対する理解に及んでいないケースが見られる。[[2004年]]4月には、小学生の4割が[[天動説]]的な説明の文章に「正しい」と回答しているといった報告も提出され、同問題をより深刻なものと受け止める向きも多い。然し[[1989年]]や[[1998年]]に発表された学習指導要領では、「地球が動いている」ことを理科ではっきり学習するのは中学校なので、天動説を信じている小学生が多いことは必ずしも驚くことでは無い。この背景には、児童・生徒たちによる日常理解や抽象概念の認識範囲の拡大等、[[発達心理学]]的な要素を取り入れる必要があるからである。
 
この他に日本の理科教育では、例えば高等学校のカリキュラムにおいて地学を履修しないものが一般的になりつつある。これは大学での専攻の決定ばかりでなく、大学入試の受験対策で化学や物理を優先して地学を敬遠したり、高等学校で地学の授業がそもそも行われていなかったりすること等が原因として考えられる。
 
一方、特に大学レベルの教育関係者からは、下記にあるような低待遇が見られる以上、理科好きにさせたところで実際に志願するはずがなく、ましてそれを承知で勧誘するなら無責任である、という意見すら見られる。
 
また、普通教育における技術教育として実施されている中学校の技術科([[技術・家庭]]科)の履修時間数も少なからぬ影響を及ぼしていると考えられる。技術・家庭科は[[1958年]](昭和33年)に導入されて以来、男子は技術科、女子は家庭科という形で、ながらく男女別のカリキュラムで実施されており、女子は技術教育から遠ざけられる傾向にあった。[[1989年]]から男女同一カリキュラムに改められたが、技術科が中学校にしかないにもかかわらず、時間数を技術科と家庭科で折半したことで技術科の時間数は従来の3分の1以下にまで減少している(「[[男女共同参画社会]]」を参照)。
 
普通教育における技術教育は多くの国々で拡充される傾向にあり、小学校から高等学校までを通じて「製造」「エネルギー/動力/輸送」「建築/建設」「情報と通信」「食品/衣料」などの産業に関する幅広い分野が扱われている。
 
日本の普通教育において行なわれる技術教育は、下の表のように、扱う分野も実施年数も少ない。<ref>『技術科教育のカリキュラムの改善に関する研究』(2001年3月、国立教育政策研究所)</ref>
{| class="wikitable"
|+ 日本と比較した8か国における一般技術教育教科の実施状況
! 学年 !! 1 !! 2 !! 3 !! 4 !! 5 !! 6 !! 7 !! 8 !! 9 !! 10 !! 11 !! 12 !! 教科名等
|-
! イギリス
|■||■||■||■||■||■||■||■||■||■|| || ||テクノロジー科
|-
! フランス
|○||○||○||■||■||■||■||■||■||□||□||□||テクノロジー科他
|-
! スウェーデン
|■||■||■||■||■||■||■||■||■||●||●||●||スロイド科と技術科
|-
! アメリカ
|●||●||●||●||●||■||■||■||□||□||●||●||州ごとに多様
|-
! ドイツ
|■||■||■||■||■||■||■||■||■||■|| || ||州ごとに多様
|-
! ロシア
|■||■||■||■||■||■||■||■||■||■||■|| ||テクノロジー科
|-
!台湾
|■||■||■||■||■||■||■||■||■||■||■|| ||生活テクノロジー科
|-
! 韓国
| || ||■||■||■||■||■||■||■||□||□||□||実科、技術・産業科
|-
! 日本
| || || || || || ||■||■||■|| || || ||技術・家庭科
|-
! 凡例
| colspan="12" | ■必修、□選択必修、●選択、○他教科と統合して実施
|-
|}(出典:『技術教育のカリキュラムの改善に関する研究』(2001年3月、国立教育政策研究所))
{| class="wikitable"
|+ 中学技術家庭科・技術分野の履修時間数の変遷
! 領域 !! 1958年 !! 1969年 !! 1977年 !! 1989年 !! 1998年
|-
! 製図
| 55 || 45 || - || - || -
|-
! 木材加工
| 65 || 58 || 約58 || 35 || 木材・金属
|-
! 金属加工
| 50 || 58 || 約46 || 約12 || 合わせて35
|-
! 機械
| 45 || 59 || 約38 || 約12 || 若干(選択)
|-
! 電気
| 45 || 59 || 約64 || 約20 || 若干(選択)
|-
! 栽培
| 20 || 35 || 約38 || 約12 || 若干(選択)
|-
!情報基礎
| - || - || - || 約12 || 35
|-
! 合計(男子)
| '''315''' || '''315''' || '''245''' || '''105''' || '''88'''
|-
! 合計(女子)
| '''0''' || '''0''' || '''一部''' || '''105''' || '''88'''
|-
|}
 
====詰め込み教育、受験競争====
限られた問題を短時間で正確に解くための、詰め込み教育や[[受験競争]]([[センター試験]]突破がその最たるものである)によって、理科の本来の目的の一つである理論的にじっくりと考察する態度が軽視されるようになった。また、理科が好きな生徒でも、受験競争が優先され理科に関する趣味を楽しむゆとりが少なくなっている。
 
教科書の編成でも、欧米の理科教科書は日本で言うならば学習百科事典に相当するボリュームのものを学校から生徒に貸与し、生徒はここから自分の関心の深い分野や切り口を探索できるようになっている。それに対して日本の教科書ではあらかじめ精選したメインストリームを設定し、これに沿った構図を無駄なくシステマティックに教授する構造となっている。確かに科学の論理的体系を整理した形で身につける上で日本の教科書は優れている面があるが、研究が進展しつつあるまだ十分体系化されていない背景部分が大幅に排除されており、生徒の多様な関心をすくい取る力に乏しいのみならず、現状の学説において「完成されたとされる」体系を受容するだけで、科学に対する能動的態度を損なう要素も指摘できる。
 
====自然に触れる機会の減少====
子供たちが自然に触れる機会が減少し、生物の観察や飼育などの体験を行う機会が減少したことにより、不思議だと思ったり、科学的な価値観を知ることで科学に興味を持つ子供が少なくなっているとされる。しかし仮にこれが正しかったとしても観察能力が低下したという事であり、理科離れの引き金である好き嫌いという感情とは別であるという見方もある。
 
また、「理科が嫌いになる」という意味での理科離れの傾向は、都市部と農村部で比較してもそれほど大きな差は無く、この問題は自然環境の有無よりも子供を取り巻く状況に依存する要素が大きいと考えられる。農村部での子供の自然体験の減少には、農村部での高齢化に伴う児童数の減少で年長の子供から年少の子供への自然の中での遊び方の伝承が途切れ、これによって子供が外で遊ばなくなったことも指摘されている。
 
また、かつては県ごとに組織されたローカルな自然史研究会・生物学会・地学会の類に加入し地域の自然に基盤を置く教材研究に努める理科教員が多かったが、近年は若い教員の加入が著しく乏しくなっており[[校務]]分掌の多忙化もあってこうした活動が低調になってきている。そのため、地域の自然に関して豊富な知識を持つ教員の数も減少してきており、児童・生徒への適切な助言をこなせない状況が生まれてきている。
 
====子供の好奇心・趣味・遊び・手伝いの変化====
おおよそ1960年代までの日本では、'''ラジオ少年'''(→[[工作少年]])という言葉に代表されるような、電気製品の分解や修理、組み立てなどの[[電子工作]]を楽しむ子供が多かった。これは完成品が高いものでも、半完成品として販売されていたり、作成方法が公開されていることにより、部品を集めることによって作ることが可能になっていた。1970年代までは、それら子供向けの[[半田ごて]]を利用する、ラジオや無線送信機などの工作キットも多く発売された。実際問題として他の娯楽も少ない事から、比較的安価なそれらのキットを利用して、ラジオ放送を楽しむ子供らも少なくはなかった。[[アマチュア無線]]の存在もこの傾向に影響を与えていたと考えられる。
 
また、電気関係以外にも、物を作ったり解体したりする趣味や遊びが多数存在し、そのような子供に対する尊敬の念もあった。また親たちも家庭で使われる道具類を自分で修理したり自ら作成してしまうことも多く、それを子供に手伝わせる機会も頻繁だった。そこで得た興味や技術を糧にして、大人になってからも専門家として科学技術を支える重要な役割を務めていることが多い。
 
しかし、1980年代中頃から1990年代にかけて[[テレビゲーム]]が普及したことや、家庭で用いられる電気製品が[[ブラックボックス|高度化]]して、分解や修理を行う必要性が無くなった(あるいは出来なくなった)事もあり、自然観察や工作を楽しむ子供は減った。また、さまざまな製品の値段が大量生産によって低価格化したことで、家庭で使う道具類を自分で修理しなくなり、道具を家庭で作るという行為に至ってはそれ以前に衰退していた。このことが、理科離れの原因の一つと主張する論者も散見される。但し、その一方で[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]の普及などで[[ソフトウェア]]を自作する環境が出来、現在の電気製品の多くが往々にしてソフトウェアによって性能を実現していることを考慮すると、この指摘が必ずしも当たらないという見方もある。
 
同じく1980年から1990年代以降には、子供向けの文化媒体(主に娯楽媒体)市場が拡大した。これにより[[プラモデル]]と[[ミニ四駆]]の人気などのキャラクター商品が台頭し、電子工作キットの地位が相対的に下がった。また、子供向け娯楽媒体が一日の生活において一定の時間を占めるようになったため、子供らが日常の生活や手伝いを通じて、家庭内に普遍的に存在する様々な'''現象'''に関心を抱く機会が減っている事を挙げる向きもある。
 
またこの過程に関連して、読書時間も年々減少傾向にあると報告されている。2004年の調査では高校生でも、学校カリキュラム以外では一日の読書時間がゼロという生徒が4割を占めるなど、知的好奇心が低下したと考えられる傾向が見られる。この傾向は大学生にも顕著で、2000年代に前後して、大学受験の要求する学力レベルが中堅層から低下している中で、[[新書]]などの書籍を全く読まない、もしくは読む能力が無いという学生も多いと嘆く大学教授も存在する(詳細は「[[活字離れ]]」を参照)。このためか、知的好奇心をもって物事に取り組む層とそうでない層の能力の二極化が顕著となりつつあり、意思疎通が図りにくいと指摘されることもある。
 
===社会人をめぐる状況===
<!--本記事との関連意味不明、独自研究未満。
====疑似科学的な科学的思考====
特定の世代に限らず、[[血液型性格診断]]などの様に科学的な根拠が全く無い[[疑似科学]]的な話を単純に信じ込む傾向が認められる。これには近代以降、科学の術語の多くが時代に応じた科学的思考を伴って受容されたのではなく、しばしば科学的思考と対極のところに位置する伝統的なコスモロジーの中に位置づけられて受容されたことも、原因として考慮する必要がある。例えば現代における「黴菌」「伝染病」「遺伝病」「消毒」といった医学、保健衛生学の術語は、「[[穢れ]]」や「[[禊]]」の思想や聖書学的ライ病(ツァラアト)といった古典的な差別観を、逆説的に権威付け補完する術語として受容されている。現在に続いた[[ハンセン病]]や[[水俣病]]患者に対する激しい差別は、これらが要因のひとつとなった。加えて少なからざる科学者にもそういう姿勢が見られたことが、却って科学に対する不信を齎したとも言える。
-->
==== 科学ジャーナリズムの貧弱さ ====
社会人が広範な科学知識を現実の科学の発展に即して得る手段としての[[科学ジャーナリズム]]も、日本では基盤が貧弱である。高度経済成長期に[[ホワイトカラー]]向けの、経済[[バブル景気|バブル]]期にもっと広範な大衆向けの[[科学雑誌]]の発展がありはしたが、1923年に創刊されて現在も発刊中の、誠文堂新光社の「[[子供の科学]]」等ごく一部の科学誌を除き、そのほとんどがバブル崩壊後に廃刊に追い込まれている。科学に対する興味が薄れることによって売上げが減少し、人目に触れる機会が減少することで、さらに科学に対する興味が薄れるという悪循環を生じている。現在は一般向けの総合科学雑誌はこの他に[[岩波書店]]の「科学」、[[ニュートン・プレス]]の「[[ニュートン (雑誌)|Newton]]」、[[日本経済新聞社]]の「[[日経サイエンス|日経サイエンス]]」程度であり、前2誌もむしろ[[研究者]]、[[技術者]]向けの比較的高価な専門誌と認識され、ホワイトカラー層においてすら難しいメディアと認識されているのが現状である。「日経サイエンス」は、アメリカの"SCIENTIFIC AMERICAN"誌の日本版であり、英語版本誌及び他国語版の多くは、どちらかというとホワイトカラー層にターゲットを置いているものの、安価で大量に発行されている大衆雑誌の扱いとなっている。
 
こうしたこともあり、日本における大衆特に高等教育を受けているホワイトカラー層の[[科学リテラシー]]を中心に際立って低く、多くの科学者ならびに関係者が危惧している。ある程度体系だった科学リテラシーを持つには、各々の教育水準や幼少からの家庭環境も影響している、と指摘する者もいるが、これに類する見方は[[教育社会学]]で研究されてきている。
 
====科学技術に対するメディアの扱い====
戦後の復興期から、高度経済成長、公害問題、原発報道、公害報道の流れで、報道の科学技術に対する姿勢は親和からアンチの方向に傾向している。
 
上記のような科学専門メディアの衰退の一方で[[原子力事故]]や[[感染症]]をめぐる問題など、現在の科学技術における失敗例や未解決の問題は数多く存在する。こうした問題は、科学技術を用いることによってしか解決が困難なものが多いにもかかわらず、一部には、それらの危険性ばかりを強調し科学技術そのものに対する不信感を持たせるような[[報道]]や世間の論調がある。また、科学技術に関わる科学者や技術者に人格的欠陥があるようなイメージを与え不当に貶めるような論調も少なくなく、逆に、科学者や技術者が人格的に賞賛すべき人物であると、極端に持ち上げることもある。これも逆の意味で、彼らに対するメディアの扱いに疑問を持つ必要がある、と批判、辟易されることも多い([[田中耕一]]、[[飯田哲也 (環境学者)]]を参照)。
 
これは報道側が科学に関する基礎的・社会的知見を欠いた、もしくは全くない人材ばかりで構成されているため、と指摘する者がある。その一方で、マスコミやジャーナリズムに固有の批判的性質を大なり小なり考慮すると、そのように帰結するのは短絡的だという見方もあるが、いずれにせよ主要な研究は[[歴史学]]や[[社会学]]等で展開、議論されている([[佐藤卓己]]を参照)。
 
また、更にマスメディアが理系と文系の待遇の違いや理工系離れについてかなり無関心を装っているのも問題である。2010年には6月27日[[TBSテレビ|TBS]]系特番「[[池上彰]]が日本の危機を緊急ニュース解説! 号外!池上タイムズ」で日本の工学部志願者が10年前と比較して半減し、また日本企業における技術者の冷遇に辟易した技術者が[[大韓民国|韓国]]企業に[[ヘッドハンティング]]される状況、2012年5月25日[[関西テレビ]]系報道番組「[[FNNスーパーニュースアンカー]]」の特集「金曜日のギモン」内で小学校の基礎的な算数すらできない大人がそれぞれ取材され、放送されたが、全体のニュース量からするとまだまだ少ない。
 
一方、中学校や高校で理科が得意であっても、大学で[[人文科学]]や[[社会科学]]系の文科系学部や[[医学部]]、[[薬学部]]等の医療系学部に進学する生徒も少なくない。大学進学に当たって、実験や演習・レポートなどで学生生活を拘束されがちな理工系を敬遠し、文科系学部に進学するという傾向も目立った。
<!--一業界の特殊事情はここでは不要。ちなみに公共土木は既に第二の造船、ITも第三の造船となっているが、どちらにせよここでは不要。
また土木工学等は、理工学の一分野としては建築学についで暗記が多い、学生が男性ばかりで占められる(華やかさに欠ける)、泥臭さが感じられる、公共事業に対する悪いイメージ(汚職、談合等)等から、同じ工学部の[[機械]]や[[電気]]といった最新分野から軽蔑されている風潮がある。また、理工系と関係ない他分野の人間からもあまり良いイメージをもたれず、学科の名称を「都市~」「~システム」というように変更してイメージアップやカモフラージュをしようとしている姿勢や、同じ大学工学系学科と比較した場合の[[偏差値]]の低さなどが、一部の工学系の人間から批判、蔑視されている元凶となっている。
-->
 
====社会の指導的役割立場にある者の、科学的知見の薄弱さ====
これらの現象には次のような背景が指摘されている。欧米先進国のみならず、ほとんどのアジア・アフリカ諸国では、高学歴者とは大学院の修士課程や博士課程の修了者を意味し、大学院修了者が政府機関や企業の指導者層として数多く登用されている。しかし、日本ではこうした社会的地位に登用されるのはいわゆる[[ブランド大学]]の学士課程を修了した者である。現状では(専攻分野を問わず)大学院修了よりも学部卒のほうが圧倒的に人数が多く、基礎科学分野や科学技術分野の高度な訓練を受けた者は社会の指導的立場には立ちにくい構造になっている。その上、日本の銀行の融資システム上研究者によるベンチャー起業が困難であり、大学や既存の企業のサラリーマン技術者としてしか自己の有する技術によるビジネスチャンスを得られないという問題もある。
 
先進国の中でも欧米と比べて[[シンクタンク]]の層の薄さ、社会的役割の低さ、単に官公庁からの天下りや、大企業、金融機関の雇用確保機関に成り下がっている、などの諸問題も背景にある。
 
==対策==