「ヴィリッヒ・フィリップ・ロレンツ・フォン・ダウン」の版間の差分

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若いころは父の[[連隊]]で軍人としての教育を受けた。[[ハンガリー王国|ハンガリー]]における[[オスマン帝国]]との戦争([[大トルコ戦争]])から[[オイゲン・フォン・ザヴォイエン|プリンツ・オイゲン]]の指揮下で戦うようになり、[[ゼンタの戦い]]に参加した。[[スペイン継承戦争]]が始まると、オイゲンの指揮下で[[イタリア]]方面で活躍、[[キアーリの戦い|キアリの戦い]]などに参加した。
 
オイゲンが[[ドイツ]]、[[フランドル]]方面に頻繁に移動したため、その間は[[グイード・フォン・シュターレンベルク|グイード・ヴァルト・リュティガー・フォン・シュターレンベルク]]がイタリア方面の最高指揮官となったが、その後ハンガリーで[[フランス王国|フランス]]に後援された[[ラーコーツィ・フェレンツ2世]]の[[ラーコーツィの独立戦争|反乱]]が起こるとシュターレンベルクもそちらへ転出したため、結局ダウンがイタリアにおける常時の最高指揮官となって、[[サヴォイア公国]]の[[ヴィットーリオ・アメデーオ2世]]と共にフランスと戦った。
 
[[1705年]]から[[1706年]]にかけて、オイゲンと主力不在のあいだのイタリアの戦いはフランスにかなり押され気味で、たまにオイゲンが戻ってきても劣勢の挽回にはならなかった。さらにはサヴォイア公国領のかなりの範囲を占領され、[[トリノ]]は孤立してフランス軍に包囲された。ダウンは歩兵をまとめてトリノに籠城する一方、ヴィットーリオ・アメデーオ2世は騎兵を率いてトリノを脱出、フランス軍を包囲陣の外側から攻撃しながらオイゲンの救援を待った。冬の間に同盟諸国から新手の部隊と軍資金を獲得してきたオイゲンは軍を再構成するとフランス軍の妨害を突破してトリノに駆けつけ、トリノを救出した([[トリノの戦い]])。この戦いでイタリア半島のフランス軍勢力は消滅した。
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