「ステップ (パソコンショップ)」の版間の差分

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== 概要 ==
ステップは[[1979年]](昭和54年)に寺田由雄が千葉県市川市[[行徳]]で創業し、翌年法人化。[[倉庫]]当初は普通電器店だったが、後述の「5つのNO!」に象徴される徹底した運営コスト削減にうなる低価格・大量販売路線に変更し、千葉県内で急速に店舗網を広げた。店舗は倉庫の様箱ごと在庫が積まれ、小さな商品は客がレジに直接持って行き、大きな商品は型番を伝えて購入するという販売スタイルであった。また、店舗販売のほか雑誌広告による通信販売も行っていた。
 
後述の「5つのNO!」を掲げ、運営コストを徹底的1990年代削減することで低価格を実現、大量販売で成長する。入って秋葉原や日本橋にも進出一時は秋葉原の価格形成にも影響を与えた。ピーク時の1994年2月期には265億円を売り上げたものの、薄利多売が行き過ぎて、この時すでに4300万円の欠損赤字を計上していた。さらに、時を同じくしてパソコン価格の下落と他店との価格競争により収益が悪化し、翌1995年2月期には170億円と売上が大幅に減少した。
 
この売上の減少はステップに致命的なダメージを与えた。ステップでは通信販売において、購入者に前もって代金を入金させ、これを運転資金として商品調達を行っていたため、売上の減少による資金不足で[[Windows95]]発売時の「売れ時」を逃す結果となる。それでも何とか売上回復を期して、PCメモリを格安で販売する戦略に打って出たが、雑誌広告にメモリの価格を先読みして打ち出したため、雑誌に掲載された価格より調達価格が上回ることも多く、伝票上多額の損失を計上した。寺田社長は「マージンが入るので大丈夫」と公言していたが、それを確認できるような人物は人事面で既に排除されてしまっていた。
 
これらの打開策として秋葉原に「ステップPC工房」を開店。ジュエリー用のショーケースにPCパーツが陳列され、落ち着いた雰囲気の中で自作パーツの購入や好きな組み合わせでのパソコンオーダーができるという、従来のステップとは全く違う方向性の店舗であった。これと同時に本社機能の一部を秋葉原に移転したものの、3ヶ月後に再び市川市に戻す結果となり、この移転費用も大きな負担となった。肝心のステップPC工房のジュエリーケースも、サイズのミスで使用できない什器が出るなどした。
 
さらに、サービスを排除した低価格路線の象徴であった「5つのNO!」を廃止し、サービス向上と合理化を進めたが、今までの全店舗一括仕入れを各店毎の仕入れにしたため、スケールメリットを自ら放棄し仕入れ値を上げる結果となった。1996年2月期には165億円と前年期よりさらに売上が減少、最終的に資金繰りに行き詰まり、[[1996年]](平成8年)9月20日に[[千葉地方裁判所|千葉地裁]]に和議を申請し倒産した。9月20日朝、ステップの幹部社員数名にだけ和議申請の事実が知らされ、店舗にて幹部社員が正午にシャッターを閉めるように従業員に指示し、その後従業員に倒産の事実が告げられた。負債は70億円<ref>[http://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/960925/step.htm ステップ、千葉地裁に和議を申請] PC Watch</ref>。
 
ステップの倒産後、寺田社長は1998年に株式会社GENO(ジェノ)を設立。同社はステップと同じくパソコンや家電の小売販売を行っており、秋葉原にも店舗を構えている。
 
== 5つのNO! ==