「東郷青児」の版間の差分

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'''東郷 青児'''(とうごう せいじ、[[1897年]]([[明治]]30年)[[4月28日]] - [[1978年]]([[昭和]]53年)[[4月25日]])は[[日本]]の[[画家|洋画家]]。本名は'''東郷 鉄春'''。夢見るような甘い女性像が人気を博し、本や雑誌、包装紙などに多数使われ、昭和の美人画家として戦後活躍した
 
独特のデフォルメを施され、柔らかな曲線と色調で描かれた女性像などが有名だが、通俗的過ぎるとの見方もある。後期には[[版画]]や[[彫刻]]も手掛けた。雑貨のデザインや本の装釘も数多い。
 
なお、彼の画風は弟子にあたる[[安食一雄]]に受け継がれている。
ダンディで社交的であったことから女性スキャンダルも少なくなく、愛人のひとり、作家の[[宇野千代]]の『色ざんげ』は、東郷をモデルにしている。
 
== 年譜 ==
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* [[1921年]](大正10年)から[[1928年]](昭和3年)<!-- ?, 帰国を1930年とするソースあり -->まで[[フランス]]に留学。リヨン美術学校に学ぶ。この頃の作品には、[[パブロ・ピカソ|ピカソ]]らの影響が見られる。[[長男]]の志馬誕生。
* 1928年(昭和3年) - 第15回二科展に留学中に描いた作品23点を出品、第1回昭和洋画奨励賞を受賞。
* 1929年(昭和4年) - [[愛人]]の西崎みつ子と[[メス]]で[[頸動脈]]を切り、[[ガス]][[自殺]]をはかったが、救出される<ref>[http://www.gei-shin.co.jp/comunity/17/10.html Art Access]</ref>。[[宇野千代]]と[[同棲]]を始める(宇野の『色ざんげ』は東郷をモデルにした主人公が自らの情死未遂事件を語るに書かれたいうもの)。
* [[1930年]](昭和5年) - <!-- (国立国会図書館データベースより) -->[[ジャン・コクトー]]の『怖るべき子供たち』を翻訳、白水社より刊行。
* [[1931年]](昭和6年) - [[二科会]]入会。