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'''オウィディウス'''('''Publius Ovidius Naso''', [[紀元前1世紀|紀元前43年]][[3月20日]] - [[17年|紀元17年]])は[[古代ローマ]]、「[[アウグストゥス]]の世紀」に生きた[[詩人]]。'''オヴィディウス'''(ドイツ式)、'''オーヴィッド'''(英語式)とも記されることがあるが、[[ラテン語]]を日本語でカタカナ表記する方式の違いであり、どれが正しいというものではない。代表作は『恋愛術(アルス・アマトリア)』、『[[変身物語]]』
 
中部イタリアのスルモナの生まれで、公職の道を志すが、断念して詩作に従事。
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[[エレギア]]の詩体を得意とし、エロティシズム溢れる恋愛詩を多く残し、[[ラテン文学]]の黄金期を代表する詩人の一人に数えられる。しかし同時代人である[[ウェルギリウス]]や[[ホラティウス]]たちがアウグストゥス、[[マエケナス]]の庇護の元で詩作を行なったのに対して、オウィディウスは終始そうした庇護を受けることはなかった。
 
その後彼[[1年|紀元1年]]ごろ、オウィディウス『愛の歌』を[[ギリシア神話]]を参考にして『恋愛術』を書いたが、。しかしあまりに露骨な性的描写が多かったため、実際に読んだアウグストゥス帝が激怒し、[[8年|紀元8年]]、[[黒海]]沿岸の僻地であるトミス(現在の[[コンスタンツァ]])へ流されそこで没し。最も有名な作品は、『[[変身物語]]』である。彼は、これにより大手を振ってギリシャに行けると、かえって喜ぶ発言をしたという逸話が伝わるが、事実かどうかは不明である。その後もオウィディウスは詩作を続け、『悲しみの歌』、『黒海からの手紙』を書いた。オウィディウスはローマへの帰還を望んでいたが、一度も許されることなくトミスで亡くなった
 
== 作品 ==
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*『恋の歌』 ''Amores''
**『ローマ恋愛詩人集』[[中山恒夫]]編訳、[[国文社]]、1985年に所収。
*『恋愛術(恋の技法アルス・アマトリア)』 ''Ars amatoria''
**『恋の手ほどき  ほれた病の治療法』[[藤井昇]]訳、わらび書房、1984年。
**『恋の技法』[[樋口勝彦]]訳、[[平凡社ライブラリー]]、1995年。初版思索社
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*『恋愛治療』 ''Remedia amoris''
**『恋の手ほどき  ほれた病の治療法』 藤井昇訳、わらび書房、1984年。
*『名婦の書簡 』 ''Heroides''
**『ローマ文学集』 世界文学大系67:[[筑摩書房]]、1966年に松本克己の抄訳。
*『[[変身物語]]』 ''Metamorphoses''