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とりわけ[[朝日新聞]]批判は創刊以来のライフワーク的存在であり、しばしば特集を組んで批判論陣を張った。古くは[[本多勝一]]の『中国の旅』批判(その中から後述の[[イザヤ・ベンダサン]](=山本七平)と本多の誌上討論が起こった)、21世紀に入ってからは[[女性国際戦犯法廷#NHKの特集番組について|女性国際戦犯法廷のNHK番組改変問題]]で[[安倍晋三]]の主張と同じく「[[捏造]]を行った朝日」と批判を大々的に行っていた。
 
[[岩波書店]]で、多く本を出し雑誌『世界』で論文掲載していた、主に左派文化人の呼称である「[[進歩的文化人]]」批判も多く行った。特に[[ソビエト連邦|ソ連]]解体([[ソ連崩壊]])後の、左派文化人が[[ソビエト連邦共産党|ソ連共産党]]の[[独裁政治|独裁体制]]や[[中華人民共和国|中国]]の[[文化大革命]]、[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]の[[金日成]]崇拝を無条件で礼賛していた各種の過去の発言を雑誌や新聞から発掘し、個人名を挙げて出典付きで紹介する「悪魔祓いの戦後史」([[稲垣武]])の連載は反響を呼んだ。同著は[[山本七平賞]]を受賞した。
 
また[[2001年]]2月号では[[南京大虐殺論争]]では多種多様なアンケート結果を掲載し、上で[[産経新聞]]論説委員[[石川水穂]](当時)の司会で、「中間派」の[[秦郁彦]]と「まぼろし派」の[[東中野修道]]による座談会を行った。
 
[[2005年]]には「あなたが朝日に狙われたら」や「あなたが中国に狙われたら」などの特集が組まれたが、これらの一見刺激的なタイトルもいわゆる「諸君!」のタイトル付けの伝統である。特にイザヤ・ベンダサンこと山本七平と本多との誌上論戦は有名で、ベストセラー『日本人とユダヤ人』の著者として有名人であったベンダサンの主張(スタートは上記の『中国の旅』への批判)に対して本多の反論(その後数回に渡り往復書簡形式を取ることになる)を載せたことで本誌の部数の増大には大いに貢献したとも言われる。この討論は全文が本多の著書『殺す側の論理』に収録された。本多はこの討論と書籍化の過程でベンダサンの実在を疑うことになるが、「代理人」を称していた山本はそれを認めることはなかった。
 
90年代には[[自由主義史観]]の主要論陣拠点となり、[[1996年]]に結成された[[新しい歴史教科書をつくる会]]に、産経新聞系の「正論」とともに深く関わっていた。ただ「つくる会」により積極的に関わっていた「正論」の購読者が増えたことにより、売上面では1990年代後半から「正論」に肩を並べられ、保守論壇の中核的月刊誌を求める読者を二分するようになっていった。最終号には「[[発言者]]」と並んで購読を求める広告を出している
 
[[靖国神社]]参拝を強力にプッシュ支持する立場であを取ていたが[[2006年]]の[[富田メモ]]発見後は強硬論を和らげる特集も組んだ。[[第1次安倍内閣|安倍内閣]]の時は右派論客に寄稿させる形で「[[美しい国]]」に関わる特集を多く組んでいたが、[[2007年]]の[[第21回参議院議員通常選挙]]で自民党が大敗すると、安倍が総理を辞任する直前に編集長を交代。路線転換を図っていた。
 
以前から[[小林良彰]]、[[浅田彰]]、[[山口二郎]]、[[大塚英志]]、[[金子勝 (経済学者)|金子勝]]など、右派陣営に属さない人物に寄稿させることもあったが、近年も[[上野千鶴子]]、[[大沼保昭]]、[[稲葉振一郎]]、[[井上章一]]など右派に属さない論客が対談や論説など様々な形で登場しており、この点は「正論」とは異なるところであった。また時折アンケートという形で各界の識者の意見を聞く特集を組んだが、その場合、登場する面子は左派から政治的な色彩が薄い人物まで様々だった。これは、別の意見や反対の主張も、読者の参考のために掲載するとの編集方針によるものである
これは、別の意見や反対の主張も、読者の参考のために掲載するとの編集方針によるものである。
 
[[斎藤貴男]]によると、ある時期までは「[[天皇]]の悪口を言わない限り何を書いてもいい」ところがあったという。また、斎藤は休刊前の「諸君!」を「月刊[[2ちゃんねる]]」と評していた。これは主義主張が2ちゃんねる上で日々行われている反[[特定アジア]]・反リベラル・保守回帰(復古)の書き込みと同質である事に加え、毎月の特集の組み方自体が2ちゃんねる同様に繰り返されている事を批判したものである。
 
元統一協会員の[[仲正昌樹]]が斎藤貴男らを批判した「サヨクの最後の砦 - 「[[格差社会]]」「[[愛国心]]」「[[共謀罪]]」ハンタイ」([[2006年]]8月号)に2ページでいいから反論させろと要求したところ、「読者投稿欄なら」との編集部の回答に失望したという<ref>「[[創 (雑誌)|創]]」[[2006年]]9・10月号</ref>。数ページにわたる批判記事への言論人の反論には2ページ割いて反論を載せるのは従来『諸君!』の伝統であって、石井英夫のそれに対しても俵孝太郎は2ページ反論する機会を与えられている。斎藤は結局、投稿欄への反論を行わなかった。また、以前は本多勝一が投書欄への反論すら拒絶されたことで、訴訟沙汰となっている。掲載された本多への批判の論説は、本多が書いた記事の曲解に基づくものであり、読者に誤解をさせるから名誉毀損であるとし、本多は発行元の文芸春秋社を提訴した。判決は、掲載された文に本多の記事が引用されているため読者には元の文がわかるとして請求棄却であった。
また、以前は本多勝一が投書欄への反論すら拒絶されたことで、訴訟沙汰となっている。掲載された本多への批判の論説は、本多が書いた記事の曲解に基づくものであり、読者に誤解をさせるから名誉毀損であるとし、本多は発行元の文芸春秋社を提訴した。判決は、掲載された文に本多の記事が引用されているため読者には元の文がわかるとして請求棄却であった。
 
[[2009年]]3月、創刊から40年となる2009年5月1日発売の2009年6月号で休刊することが発表された。2005年8月までの年間平均部数は8万部強、最高部数は2006年の8万5000部だったが、2008年9月までには約6万5000部に低落。実売は4万部を切っていたという。[[文藝春秋社]]全体の[[広告]]収入の落ち込みもあり、社業全体の見直しの一環として休刊となった。現在、後継誌発刊の予定は無い。