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この時代の[[ユーラシア]]最大の[[青銅]]生産地の一つと考えられる。石板と石柱で囲まれた長方形の巨大な王墓など、大規模な[[クルガン]](墳丘墓)を特徴とするため、かつてはミヌシンスク・クルガン文化と呼ばれたが、ミヌシンスク盆地のクルガンは様々な時代にわたるため、[[エニセイ川]]のミヌシンスク対岸の島にちなんで命名された。
 
担い手は、人種的には[[コーカソモンゴロイド]]が中心、[[スキタイ]]と関係がると見られる。また地理的にはやや後に[[テュルク系]]の[[丁零]]などが栄えた地域に近く、これとの関係も考えられる
 
木造家屋に住み、土製の暖炉で暖房をしていた。一部の集落は城壁で守られていた。主として[[遊牧]]生活で、[[馬]]、[[羊]]、[[山羊]]が飼育された。[[農耕]]も行われたと見られ、青銅製の鎌と穂刈り包丁が見出されている。青銅器などの遺物は、初期には[[アルタイ山脈]]方面の[[パジリク文化]]と同じくスキタイから等の西方遊牧民へ圧倒的な影響を受け与えおり(スキト・シベリア文化)、以前の[[カラスク文化]]の影響もある。
 
中期になると独自性を出すとともに変化が現れ、同時期の[[内蒙古]]に興った[[オルドス青銅器文化]](綏遠文化:[[匈奴]]と関係があると考えられている)と共通のデザインが多数見られ、これに特に強い影響を与えたと考えられている。後期には鉄器が現れるが、その後も主に青銅器が使われた。スキタイから匈奴などモンゴル高原周辺等の西方遊牧・騎馬民族集団、さらに中国や東アジア一帯への文化的橋渡しの役割なし発信する先進文化だったと考えられる。
 
[[Category:先史時代 (中央ユーラシア)|たかるふんか]]