「日本SF作家クラブ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Kokada jnet (会話 | 投稿記録)
→‎略史: 平井和正の退会
25行目:
その他の活動には、[[1970年]]に会員の手塚治虫がアニメ映画『クレオパトラ』を製作した際に群集のシーンの声で参加したり<ref>小松左京「アトムは機械仕掛けのロボットというものを心の優しい愛すべきものという概念に変えた」『鉄腕アトム コンプリートブック』霜月たかなか・司田武己編著、[[メディアファクトリー]]、2003年、118頁。</ref>、[[2001年]]に[[早川書房]]から『SF入門』という共著書を出すなどの活動をしている。
 
クラブ発足時に外された柴野拓美以外に参加しなかったSF作家には、日本の[[ニュー・ウェーブ (SF)|ニュー・ウェーブ]]SF運動を先導していたが思想の違いから再三の誘いを拒んだ[[山野浩一]]がいる<ref>筒井康隆「72年度版解説」『'72日本SFベスト集成』筒井康隆編、[[徳間書店]]、[[1976年]]、319頁。</ref>(のち2007年の[[世界SF大会]]の「speculative japan」パネルに出席し、翻訳家[[増田まもる]]が創設したサイト「speculative japan」の理念に賛同したことから、2008年1月に入会した<ref>http://yamanoweb.exblog.jp/8086804/</ref>)。他に、[[荒巻義雄]]も外部からSFの評論をしたいとして1985年から退会していたことがあった<ref>筒井康隆『日日不穏』[[中央公論社]]、1987年、27頁、41頁、152頁。</ref>。[[眉村卓]]も1992年から2008年まで退会していたことがあったという<ref>[http://www.asahi-net.or.jp/~li7m-oon/thatta01/that246/thatta0810.htm 京都SFフェスティバル2008でのインタビュー]</ref>。またSFファンが選ぶ[[星雲賞]]の常連作家である[[野尻抱介]]も、2011年10月にツイッター上で「何年か前の[[日本SF大賞]]があまりにくだらなかったので、私はSF作家クラブを退会した」と発言している<ref>http://twilog.org/nojiri_h/date-111031</ref>。また[[平井和正]]も退会している
 
当初は親睦団体という性格が強く、新規入会は全会一致で承認された場合のみという会則が設けられていた<ref>なお、この規約についても「福島正実が柴野拓美を入会させないために設けた」という説がある。[[長山靖生]]『日本SF精神史』(河出書房新社)P.201</ref>。そのため、後に会員となった[[荒俣宏]]は当初入りたくても入れなかったという<ref>『星新一 1001話をつくった人』392頁。</ref>。[[1997年]]ごろには作家の[[若桜木虔]]が推薦を受けたが、入会を拒否された<ref>[http://www.din.or.jp/~aoyama/sfwritercriticism.html 最後のSF作家クラブ批判] 小説家:[[青山智樹]]の仕事部屋 1999年3月25日</ref>。
31行目:
[[2012年]]から、日本SF作家クラブ会員有志により運営されるネット・マガジン「SF Prologue Wave」が開始された。
 
また、[[2013年]]の「創立50周年」に向けて、記念プロジェクトの準備を実施中。
 
== 脚注・出典 ==