「マグナ・カルタ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
ABNOIC (会話 | 投稿記録)
画像サイズ lk
3行目:
'''マグナ・カルタ'''または'''大憲章'''(だいけんしょう)({{lang-la-short|Magna Carta}}、{{lang-la-short|Magna Carta Libertatum}}、{{lang-en-short|the Great Charter of the Liberties of England}})は、[[イングランド王国]]において[[ジョン (イングランド王)|ジョン王]]により制定された[[憲章]]であり、イングランド国王の権限の制限をその内容とする。
 
[[File:Magcarta.JPG|thumb|250px|[[1215年]]に作られた、マグナ・カルタの認証付写本]]
{{君主主義}}
== 成立 ==
マグナ・カルタは[[ラニーミード]]において[[1215年]][[6月15日]]に制定。すべての条文はその後廃止されたが前文は廃止されずに[[現行法]]として残っており、現在でも[[イギリス]]において[[イギリスの憲法|憲法]]を構成する法典の一つである。
 
写しが大量に書かれたため、各地に残っているが、[[イングランド]]内に現存するオリジナルの文書は4通である。
 
== 経緯 ==
[[ジョン (イングランド王)|ジョン王]]が[[フランス王国|フランス]]王[[フィリップ2世 (フランス王)|フィリップ2世]]との戦いに敗れてフランス内の領地を失ったにもかかわらず新たに戦を仕掛けて再び敗戦したために、[[1215年]][[5月5日]]に[[貴族]]の怒りが爆発した。貴族側はジョン王の廃位を求めて結託し、[[ロンドン]]市が同調する事態になるとほとんどの貴族と国民は反ジョンでまとまってしまった。当時はこのように[[臣民]]の信頼を失った[[]]は自ら退位するか処刑されるしかなく、その後新たな王が立てられるのが通常であったが、このときはジョン王は、王の権限を制限する文書に[[国王]]が承諾を与えることで事態の収拾を計ったことで制定された。
 
王といえど[[コモン・ロー]]の下にあり、古来からの[[慣習]]を尊重する[[義務]]があり、[[権限]]を制限されることが文書で確認されたという意味が大きい。王の実体的権力を[[契約]][[]]で縛り、[[権力]]の行使には適正な手続を要するといった点は[[現代]]に続く「[[法の支配]]」、[[保守主義]]、[[自由主義]]の原型となった。
 
制定直後、実施にあたり混乱があり、更にジョンを支持する[[教皇|ローマ教皇]][[インノケンティウス3世 (ローマ教皇)|インノケンティウス3世]]がイングランドの貴族や[[国民]]の動きを非難してイングランド国王は[[]][[教会]]以外の約束に縛られるものではないとマグナ・カルタの廃棄を命じた。翌年にジョンが死ぬと[[フランス]]の[[ルイ8世 (フランス王)|ルイ王太子]]がロンドンへ侵攻([[第一次バロン戦争]])、マグナ・カルタは[[ヘンリー3世 (イングランド王)|ヘンリー3世]]の摂政[[ウィリアム・マーシャル (初代ペンブルック伯)|ウィリアム・マーシャル]]の元で再確認され、バロン戦争を終結させた。しかし、ヘンリー3世はその後この憲章を守らなかったため、たびたび再確認された。またその際に、条文のいくつかは修正された。現在有効とされているものは[[1225年]]に修正されたものである。その後、廃止されないまま忘れられており、[[中世]]の時代の中でほとんど重視されなくなった。[[ウィリアム・シェイクスピア]]の史劇『ジョン王』にはマグナ・カルタ制定のエピソードが登場しないことにも、この軽視が窺われる。
 
== 構成 ==
21行目:
 
特に重要な項目は、
*教会は国王から[[自由]]であると述べた第1条
*王の決定だけでは[[戦争]]協力金などの名目で[[税金]]を集めることができないと定めた第12条
*ロンドンほかの自由市は[[交易]]の自由を持ち、[[関税]]を自ら決められるとした第13条
*国王が[[議会]]を召集しなければならない場合を定めた第14条
*[[自由]]なイングランドの[[]]は国法か[[裁判]]によらなければ自由や[[生命]][[財産]]をおかされないとした第38条
などである。
 
31行目:
 
== 影響 ==
国王と議会が対立するようになった[[17世紀]]になり再度注目されるようになった。マグナ・カルタの理念は、[[エドワード・コーク]]卿ほか英国の[[裁判官]]たちによって[[憲法]][[原理]]「[[法の支配]]」としてまとめられた。[[清教徒革命]]の際には、[[革命]]の理由としてマグナ・カルタが使われた。また、[[アメリカ合衆国]]建国の理由にもマグナ・カルタが使われている。
 
== 関連項目 ==