「若山富三郎」の版間の差分

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{{出典の明記|date=2013年3月1日 (金) 15:24 (UTC)}}
{{ActorActress|
| 芸名 = 若山 富三郎
| 備考 =
}}
'''若山 富三郎'''(わかやま とみさぶろう、[[1929年]][[9月1日]] - [[1992年]][[4月2日]])は、[[日本]]の[[俳優]]。本名は'''奥村 勝'''(おくむら まさる)。別名は'''城 健三朗'''(じょう けんざぶろう)。[[東京市]][[深川区]]出身。父は[[長唄映画]][[三味線テレビドラマ]][[杵屋勝東治演劇]]で幅広い役柄を演じており弟にその[[勝新太郎殺陣]]、息子当代随一の名手と評された<ref name="chiba">{{Cite book |和書 |author = JJサニー千葉 |authorlink = 千葉真一 |year = 2010 |title = 千葉流 サムライへの道 |publisher = [[若山騎一郎ぶんか社]] |pages = 154 - 171 |isbn = 4821142694 }}</ref><ref name="akkan">歴史群像シリーズ 『圧巻!無頼派時代劇』 115頁。</ref><ref name = "アサ芸魔界">{{Cite journal |和書 |date = 2012-11-29 |title = 深作欣二「千葉ちゃん前妻はウソって観客に思わせたら負け」 |journal = [[アサヒ芸能|アサ芸+]] |publisher = [[藤原礼子徳間書店]] |url = http://www.asagei.com/9406 |accessdate = 2012-12-08 <!--|archiveurl = http://liveweb.archive.org/http://www.asagei.com/9406 |archivedate = 2012-12-08 --> }}</ref>
 
[[映画]]・[[テレビドラマ]]・[[演劇]]で、幅広い役柄を演じ、その演技力には定評があったが、特に時代劇等で見せる[[殺陣]]の技術は当代随一の名手と評された<ref name="chiba">{{Cite book |和書 |author = JJサニー千葉 |authorlink = 千葉真一 |year = 2010 |title = 千葉流 サムライへの道 |publisher = [[ぶんか社]] |pages = 154 - 171 |isbn = 4821142694 }}</ref><ref name="akkan">歴史群像シリーズ 『圧巻!無頼派時代劇』 115頁。</ref><ref name = "アサ芸魔界">{{Cite journal |和書 |date = 2012-11-29 |title = 深作欣二「千葉ちゃん、ウソって観客に思わせたら負け」 |journal = [[アサヒ芸能|アサ芸+]] |publisher = [[徳間書店]] |url = http://www.asagei.com/9406 |accessdate = 2012-12-08 <!--|archiveurl = http://liveweb.archive.org/http://www.asagei.com/9406 |archivedate = 2012-12-08 --> }}</ref>。
 
父は[[長唄]][[三味線]]の[[杵屋勝東治]]、弟に[[勝新太郎]]、息子は[[若山騎一郎]]、前妻は[[藤原礼子]]。
== 経歴 ==
幼少の頃より勝とともに[[長唄]]の修行を始めるが、なかなか専念せず、[[日本大学第三中学校|日大三中]]在学中は一年生を三回[[落第]]するほどの腕白だった。また[[柔道]]に熱中して、[[師範]](伍段)を目指していた。[[1949年]]、20歳のときに[[長唄]]の和歌山富十郎に弟子入りし、芸名を'''若山 富三郎'''とした。[[1954年]]に[[新東宝]]からスカウト、演技経験のない新人としては破格の高給と、運転手付きの車の送迎を約束させた上で入社を決める。
[[1966年]]に再び東映に移籍し、芸名を'''若山 富三郎'''に戻した。脇役からのスタートだったが[[鶴田浩二]]主演の『[[博奕打ち 総長賭博]]』の助演で認められ、主演映画も制作され始める。[[1968年]]より始まった『[[極道シリーズ]]』や『前科者』では従来の義理人情のヤクザ映画に若山のコミカルな演技が加わり、他の任侠路線とは一線を画す人気作となった。その他にも『[[賞金稼ぎ (映画版シリーズ)|賞金稼ぎシリーズ]]』、『極悪坊主シリーズ』などに主演し、個性派アクション俳優としての地位を築く。
 
[[1970年代]]の勝プロ制作の映画『[[子連れ狼 (若山富三郎版)|子連れ狼シリーズ]]』では[[拝一刀]]に扮し、凄みのあるダイナミックな殺陣と寡黙な演技は、テレビ版『[[子連れ狼 (萬屋錦之介版)|子連れ狼]]』で一刀を演じた[[萬屋錦之介]]とは全く異なる魅力を放ち、「一刀の若山か、若山の一刀か」と評されるほどの代表作になり、海外でも上映興行されカルト的な人気を得ている。個人事務所「若山企画」を設立し、[[1973年]]の『[[唖侍鬼一法眼]]』、[[1975年]]の『[[賞金稼ぎ (テレビドラマ)|賞金稼ぎ]]』などテレビ時代劇に主演した。
 
白塗りの二枚目から移行し、三枚目悪役も器用にこなす豪放なアクション時代劇俳優として活動し・殺陣を演じてきたが、{{要出典範囲|date=2013年3月1日 (金) 15:24 (UTC)|この頃からよりそれまでの売りだった暴力性・激情・体技・邪悪さ・滑稽味を内に秘めた深みのある演技者へと変化し始める。}}[[1974年]]、[[睦五朗]]に招かれて『[[エスパイ]]』に出演し、敵役のウルロフを演じた。特徴的な髪型は若山の考案で、クランクインの際には一つのセリフを様々な抑揚・表情でサンプルのように演じ分けてみせ、監督に選んでもらった。そして[[1977年]]公開の『[[悪魔の手毬唄 (1977年の映画)|悪魔の手毬唄]]』の磯川警部と、[[1978年]]から放送されたテレビドラマ『[[事件 (大岡昇平)#テレビドラマ|事件]]』の菊池弁護士は、優しい人間味と哀愁を湛えた等身大の中年像であり、それまでのイメージが一新された。『悪魔の手毬唄』と映画『[[姿三四郎 (映画)#1977年版|姿三四郎]]』の村井半助で、第20回[[ブルーリボン賞 (映画)|ブルーリボン]]助演男優賞を受賞。[[1979年]]の映画『[[衝動殺人 息子よ]]』で、[[キネマ旬報]]主演男優賞・[[ブルーリボン賞 (映画)|ブルーリボン賞]]・[[毎日映画コンクール]]の主演男優賞、第3回[[日本アカデミー賞]]の最優秀主演男優賞を受賞した。
 
[[演劇]]では1977年の[[蜷川幸雄]]演出のミュージカル『[[三文オペラ]]』や1978年の『[[アニー#日本版|アニー]]』で、長唄で鍛えた美声を披露。また同年の『歌舞伎模様・[[天保六花撰]]』では[[河内山宗俊]]に扮して、第33回[[芸術祭 (文化庁)|芸術祭]]大賞を受賞した<ref name="geijutu">{{Cite web |url = http://www.bunka.go.jp/geijutsu_bunka/geijutsusai/pdf/s51_s60.pdf |title = 昭和53年度(第33回)芸術祭賞一覧 |accessdate = 2010-10-20 }}</ref>。
 
[[1980年代]]には映画『[[魔界転生]]』で[[柳生宗矩]]を演じる。に扮し、紅蓮の炎の中でも[[千葉真一]]演じる行われた[[柳生三厳|柳生十兵衛]]([[千葉真一]])の紅蓮の炎の中での決闘鬼気迫るもの凄みして華麗な戦いを演じ作品屈指劇中最大のクライマックスとなっている<ref name = "アサ芸魔界"/><ref>{{Cite journal |和書 |author = 佐藤雅夫 |date = 1981-06-06 |title = プロダクション・ノート 魔界に祟られたスタジオ |journal = [[魔界転生]] |pages = 24 - 25 |publisher = [[角川映画|角川春樹事務所]]・[[東映]] |format = [[小冊子|パンフレット]] }}</ref>。魔界衆がまばたきをしないのは、歌舞伎のお化けにヒントを得た若山の発案である。本作は観客動員数200万人、[[興行収入]]17.9億円を超す作品となった<ref name = "興行収入">{{Cite web |url = http://www.generalworks.com/databank/movie/title3/maten.html |title = 魔界転生 |work = 作品データ |publisher = SF MOVIE DataBank <!--|archiveurl = http://megalodon.jp/2012-0429-0455-37/www.generalworks.com/databank/movie/title3/maten.html |archivedate = 2012-04-29--> |accessdate = 2012-04-29 }}</ref>(詳細は ⇒ [[魔界転生]])。本作で、若山と華麗な中に凄みを滲ませた殺陣を演じた千葉真一再び若山との共演殺陣、テレビドラマ『[[服部半蔵 影の軍団#影の軍団III|影の軍団III]]』第1話「二つの顔の男」では千葉が直接、若山へ出演依頼をしている共演を実現させたそのほかには[[フジテレビジョン|フジテレビ]]で放送されたドラマ[[時代劇スペシャル (フジテレビ)|時代劇スペシャル]] [[御金蔵破り (テレビドラマ)|御金蔵破り]]』シリーズ]]』でも殺陣と復讐に燃える[[忍者]]からコミカルな役まで幅広い演技を見せ、[[アメリカ映画]]『[[ブラックレイン]]』では凄みのあるヤクザの親分で英語の台詞もこなし、それぞれ存在感を示した。
 
[[1992年]][[4月2日]]、勝・[[中村玉緒]]・[[清川虹子]]と[[麻雀]]をしている最中に倒れ、[[心不全|急性心不全]]のため死去。{{没年齢|1929|9|1|1992|4|2}}。兄想いだった勝は、カメラの前でその遺骨を食べ、涙を流しながらその死を惜しんだ。
 
== 殺陣 ==
数多い時代劇俳優の中にあって[[殺陣]]が最もすぐれた俳優と評され<ref name="chiba"/><ref name="akkan"/><ref name = "アサ芸魔界"/>、[[千葉真一]]は[[峰打ち]]の殺陣を若山から教わるなど<ref name="chiba"/>、「若山先生から殺陣を本格的に教わり、ある意味(若山先生は)僕の師匠」と語っている。弟の[[勝新太郎]]も「殺陣はお兄ちゃんにはかなわない」と証言している<ref>{{Cite web |url = http://www.toeich.jp/?act=program-detail&info_id=1TT000003373 |title = 賞金稼ぎ (1975) |publisher = [[東映チャンネル]] <!--|archiveurl = http://web.archive.org/liveweb/http://www.toeich.jp/?act=program-detail&info_id=1TT000003373 |archivedate = 2013-01-18--> |accessdate = 2013-01-18 }}</ref>。
 
[[嵐寛寿郎]]は[[竹中労]]のインタビューで「若手で上手かったのは一に[[萬屋錦之介]]、二に若山(と勝)で以下は無い<ref>『聞書 アラカン一代』より。</ref>」としているが、東映テレビドラマ『[[賞金稼ぎ (テレビドラマ)|賞金稼ぎ]]』の殺陣師であるを担当した上野隆三(東映)は「殺陣が特に巧い人は誰かというなら、若山富三郎さんだ。あの人は何を持たせても巧い。武芸百般というけれども、[[刀]]・[[槍]]・[[薙刀]]・[[棒術]]などいろんなのがあるが、若山さんは何をやってもできる人だったね<ref name="akkan"/>」と評している。
 
代表作である映画『[[子連れ狼 (若山富三郎版)|子連れ狼]]シリーズ]]』では[[刀]]・[[長巻]]を駆使した殺陣を見せており、トンボ(前方宙返り)が切れた。テレビドラマ『賞金稼ぎ』、『[[御金蔵破り (テレビドラマ)|御金蔵破りシリーズ]]』、『[[服部半蔵 影の軍団#影の軍団III|影の軍団III]]』で見せており、映画『極悪坊主 念仏人斬り旅』では[[トランポリン]]を使い、鮮やかな前方宙返りを見せている。そのほかにも数々の映画で披露しているが、晩年の自ら企画したテレビドラマ『暴力中学』でも観ることができる。
 
== 人物 ==
親分肌で、気に入った役者やスタッフらを公私に関わらず引き連れていたため、いつしか「若山組」と呼ばれるようになった。面倒見のいい反面、手を上げることもよくあり、自分より格下と思われる相手からは「若山さん」ではなく「若山先生」と呼ばれない限り、返事もしなかった。大部屋俳優等、弱い立場の人に対してだけでなく、撮影スタッフや監督、大映時代には会社幹部にまで暴力をふるうことがあったため恐れられていたが、子役には優しかった。[[新東宝]]時代からの友人である[[丹波哲郎]]は、自身監督の映画『丹波哲郎の大霊界 死んだらどうなる』に若山に出演を依頼、若山は体調が芳しくないものの出演を引き受ける。丹波は若山の体調を気遣いつつ撮影していたが「おまえはすぐ人を殴る。体調が悪くなったのはそのバチが当たったんだ」と苦言も呈している。
 
弟である[[勝新太郎]]とは「容姿がそっくり」、「借金が得意」、「親分肌で取り巻きを大勢連れたがる」など、とても似ていた。そのため、大映時代には「二人も勝新太郎は要らない」、「愚兄賢弟」などと揶揄されたほどであった。しかし、大酒飲みで遅刻が多く台本をあまり読んでこない勝と違い、若山は撮影前の準備を怠らず、後年[[東映]]でスターダムにのし上がり、数々受賞するに至ってからは名優としての評価を高め、勝は不祥事が目立つようになり、評価は逆転した。事実、勝は「演出やプロデュースでは自分が上だが、演技力は兄に敵わない」と最高の賛辞を送っている。とても仲のいい兄弟で、勝が大麻所持で逮捕されたときはマスコミの前では勝を批判したが、執行猶予の判決が出たときは若山は「良かった」と涙を流して喜んだ。また、勝はある役者の演技を叱ろうとしたとき、その役者が「若山先生の言われた通りにしたんですけど…」と答えると、「あぁそう、お兄ちゃんがそう言ったの」と機嫌よく叱るのをやめたという。
 
若山組には[[大木実]]・[[山城新伍]]・[[安岡力也]]・[[高岡健二]]・[[潮健児]]・[[殿山泰司]]らのメンバーがいたが、大木とはお互いに「きょうだい」と呼び合う仲だった<ref name="yamashiro">
{{Cite book |和書 |author = 山城新伍 |authorlink = 山城新伍 |year = 1998 |title = おこりんぼさびしんぼ 若山富三郎・[[勝新太郎]]無頼控 |publisher = [[幻冬舎]]|pages = 46頁、51 - 57頁、62 - 65頁、72頁、83 - 91頁、98頁 |isbn = 4877282424 }}</ref>。若山組への加入は「固めの杯」を任侠の世界と同様に行っていたが、下戸で甘党だった若山の「固めの杯」は「羊羹を煮て溶かし、パンの上に塗ったものを食べるというものであった」と山城は語っている。後輩を壁際に立たせて、若山得意の手裏剣を投げつけるという荒っぽい入組試験?もあった<ref>{{Cite book |和書 |author = 若山騎一郎 |authorlink = 若山騎一郎 |year = 1998 |title = 不器用に生きた男 わが父若山富三郎 |publisher = [[ひらく]] |pages = 172 - 173 |isbn = 4341190423 }}</ref>。
 
自他共に認める若山の甘党ぶりは徹底しており、楽屋には[[大福]]や[[キャラメル]]、[[コーヒー牛乳]]などを常備し、夜中に後輩俳優を呼び出して[[汁粉]]を振る舞ったこともあった。ある時、[[高倉健]]がまだ東映在籍中の若して頃、たときに若山が下戸であることを知らず、日頃のお礼の意味で撮影前の若山に日本酒を一瓶贈ったことがあった。若山は困惑しながらも高倉の思いに応えようと快く受け取り、高倉の眼前でラッパ飲みして見せた。しかし飲んだ直後に卒倒し当日の撮影は中止。高倉はひたすら平身低頭、謝罪したという。
 
弟である[[勝新太郎]]とは「容姿がそっくり」、「借金が得意」、「親分肌で取り巻きを大勢連れたがる」など、とても似ていた。そのため、大映時代には「二人も勝新太郎は要らない」、「愚兄賢弟」などと揶揄されたほどであった。しかし、大酒飲みで遅刻が多く台本をあまり読んでこない勝と違い、若山は撮影前の準備を怠らず、後年[[東映]]でスターダムにのし上がり、数々受賞するに至ってからは名優としての評価を高め、勝は不祥事が目立つようになり、評価は逆転した。事実、勝は「演出やプロデュースでは自分が上だが、演技力は兄に敵わない」と最高の賛辞を送っている。とても仲のいい兄弟で、勝が大麻所持で逮捕されたときはマスコミの前では勝を批判したが、執行猶予の判決が出たときは若山は「良かった」と涙を流して喜んだ。また、勝はある役者の演技を叱ろうとしたとき、その役者が「若山先生の言われた通りにしたんですけど…」と答えると、「あぁそう、お兄ちゃんがそう言ったの」と機嫌よく叱るのをやめたという。
 
== 逸話 ==
ある時東映撮影所で大喧嘩になり、若山は「ぶち殺してやる」と机を持ち上げて相手に振りかぶった。若山を止めてもらおうと呼び出された山城が駆けつけると、若山は机を振り上げた姿勢のまま固まって待っていた。山城は若山に「早く止めに来んかい」と怒られた<ref name="yamashiro"/>。
 
=== バラエティー番組 ===
;『[[クイズダービー]]』
出演した『[[妻たちの鹿鳴館]]』の告知も兼ねた関係で、[[1988年]](昭和63年)[[10月8日]]に共演の[[池内淳子]]と共に第661回のドラマ大会に出場した。若山は第1問目で、5枠・ゲスト解答者だった[[ビートたけし]]に「たけし君にね、『3,000点』はダメか?」といきなり持ち点の全部を賭けようとした。しかし司会の[[大橋巨泉]]に「3000点はまずいですよ、無くなっちゃうじゃないですか。早く帰ろうと思ってるなぁ!淳子ちゃん何か言って下さい」と呆れながら止められてしまい、結局全額を賭けることはできなかった。会場の観客らは大爆笑、池内も苦笑いしつつ1,000点に賭け点を変更したものの、たけしは不正解。持ち点は2,000点と減点された。なお番組の歴史上、第1問で3,000点全部を賭けようとした番組出場者は若山と、[[とんねるず]](本件とは逆で、高正解率を誇る[[はらたいら]]の確実性に賭けた)のみである。
* [[迷走地図#テレビドラマ|松本清張作家活動40周年記念・迷走地図]] (1992年、TBS) - 望月稲右衛門 <small>※遺作</small>
 
=== 舞台演劇 ===
* [[三文オペラ]] (1977年、[[帝国劇場]]) <small>※[[蜷川幸雄]]演出</small>
* [[アニー#日本版|アニー]] (1978年) - ウォーバックス
{{デフォルトソート:わかやま とみさふろう}}
[[Category:日本の俳優]]
[[Category:剣俳優]]
[[Category:アクション俳優]]
[[Category:悪役俳優]]
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