「空手道」の版間の差分

 
==== 手(ティー)の時代 ====
古くは[[16世紀]]、命を狙われた[[京阿波根実基]](きょうあはごんじっき)が「空手」という武術を用いて暗殺者の両を打ち砕いたとの記述が正史『[[球陽]]』([[1745年]]頃)にあり、これは唐手以前の素手格闘術であったと考えられているが、これが現在の空手の源流武術であったのかは証明する史料に乏しく、その実態ははっきりしない。また、[[17世紀]]の武術家の名前が何人か伝えられているが、彼らがいかなる格闘技をしていたのか、その実態は明らかではない。明確に手(ティー)の使い手として多くの武人の名が挙がるのは[[18世紀]]に入ってからである。西平親方、具志川親方、僧侶通信、渡嘉敷親雲上、[[蔡世昌]]、[[真壁朝顕]]などの名が知られている。
 
また、[[土佐藩]]の儒学者・戸部良煕が、土佐に漂着した琉球士族より聴取して記した『大島筆記』([[1776年]])の中に、先年来琉した[[公相君]]が'''組合術'''という名の武術を披露したとの記述があることが知られている。この公相君とは、[[1756年]]に訪れた冊封使節の中の侍従武官だったのでないかと見られており、空手の起源をこの公相君の来琉に求める説もあるが、組合術とは空手のような打撃技ではなく、一種の[[柔術]]だったのではないかとの見解もあり<ref>藤原稜三『格闘技の歴史』640頁参照。</ref>、推測の域を出ていない。
1,554

回編集