「近鉄奈良線列車暴走追突事故」の版間の差分

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HATARA KEI (会話 | 投稿記録)
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== 原因 ==
戦中戦後の酷使の結果、老朽状態で放置されていたブレーキホースに用いられていたゴムの劣化による破損が原因とされる。事故車両は、本来[[直通ブレーキ#SME|非常弁付き直通ブレーキ]](SMEブレーキ)搭載車<ref>奈良線では大阪電気軌道としての創業時以来S-E1あるいはS-E5ブレーキ弁とE-H8非常弁の組み合わせによる[[ゼネラル・エレクトリック]]社製非常直通ブレーキが標準で採用されており、これにより3両編成までの連結運転に対応していた。さらにモ600形以降では、より長大編成化対応ため運転を実施すべくより高機能な自動空気ブレーキへの変更が進みつつあった。なお、本事故について書かれた文献においては、事故車が非常弁を持たない直通ブレーキ搭載車であったかのごとく記述するものが存在するが、そもそも貫通制動を持たない車両は連結運転が認可されないず、さらに前述のとおり大阪電気軌道が製作しモ600形以前の奈良線用車両は搭載ブレーキ弁の構成を含て非常直通ブレーキ搭載であったことが確認されており、これは明らかな誤りである。</ref>であり、フェイルセーフ性確保のために[[自動空気ブレーキ]]と同様の機構による非常ブレーキ装置を搭載していた。だが、戦中戦後の混乱期にはゴムなどの物資不足が原因で、非常直通ブレーキ搭載車について非常ブレーキ機能を殺し、そのブレーキ管を非接続とすることでブレーキホースの使用を節約する、といった危険な「対策」が近鉄を含む各社で横行していた<ref>事故前年に小阪で撮影されたク30形34の写真(浦原利穂 撮影)を見ると、本来各車間で2本ずつ接続されるべきブレーキ管が各1本しか接続されておらず、直通管のみ接続していたことが確認できる。また、同時期撮影の他の写真においても、自動空気ブレーキ搭載車で元空気溜管の接続を省略した例が多々存在しており、ゴムホースの不足は極めて深刻な状況であった。</ref><ref>『車両発達史シリーズ8 近畿日本鉄道 一般車 第1巻』、p.63。</ref>。そのため、ブレーキシリンダーに直接空気圧を送ってブレーキを動作させるための直通管(SAP管)と呼ばれる空気管のホースが破損すると、まったくブレーキが効かなくなった。
 
また事故車には主電動機を発電機として使用し、運動エネルギーを一旦電力に変換後、抵抗器で熱エネルギーとして放出することで減速する発電ブレーキが備わっておらず<ref>事故車の制御器はゼネラル・エレクトリック社製MK制御器と呼ばれる電磁単位スイッチ方式による総括制御器で、新造時にはマスコンのノッチを力行時とは反対方向に回転させると動作する、非常用発電制動を搭載していたが、これは戦前に撤去されていた。</ref>、更には[[集電装置]]のパンタグラフが暴走によって[[架線]]から外れてしまい、[[マスター・コントローラー|マスコン]]の主回路を逆転させて電動機を逆方向に回転させ、その抵抗力で減速し停車させる非常制動(逆転制動)が使用できなかったことも、被害を大きくした<ref>以前、[[阪急電鉄|阪急]][[三国駅 (大阪府)|三国駅]]において同様のケースの事故が起こり、その際にこの方法で電車を減速、停車させたことがあった。近鉄のこの事故においても、パンタグラフが外れず集電さえできていれば阪急の事例と同じ手法で減速が可能であったと考えられる。</ref>。
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== 参考文献 ==
* 白井昭 「初期の電車用電気品および空気ブレーキについて」 『鉄道史料』第4号、鉄道史資料保存会、1976年、pp.48-49
* 藤井信夫『車両発達史シリーズ8 近畿日本鉄道 一般車 第1巻』、関西鉄道研究会、2008年