「共公 (曹)」の版間の差分

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[[紀元前637年]]、[[晋 (春秋)|晋]]の公子[[文公 (晋)|重耳]]が亡命の旅の途中に[[曹 (春秋)|曹]]を訪れた。共公は重耳が一枚肋であると聞いて、浴をしているところを覗いた。
 
傍に侍っていた重臣[[釐負羈]](ふき)は後の報復を恐れ、壷に食料を詰め、上に[[璧]]を乗せて重耳に献じて詫びを入れたが、重耳は食料だけ受け取り璧は返した。(釐負羈は赦すが、共公は赦さないという意味)
 
後に重耳が晋の文公として即位し、[[春秋五覇|春秋の五覇]]のひとりとなると、[[紀元前632年]]に前の無礼をとがめて曹に侵攻し、共公を捕らえた。曹の田土の一部が[[宋 (春秋)|宋]]に与えられた。共公の側近の侯獳が文公を説得して共公を帰国させると、共公は復位した。