「コンセルトヘボウ」の版間の差分

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それまでに市内にあった音楽ホールの老朽化を受けて新しいホールの建設を期した「コンセルトヘボウ協会」は1881年に発足した。メンバーの中には[[アムステルダム国立美術館]]等を設計したP.J.H.カイペルスもいたが、コンセルト・ヘボウの設計には直接携わっていない。1883年に2,000人収容の大ホールと併設する小ホールという課題で実施されたコンペの結果、[[オランダ乗馬学校]]を設計した[[:nl:Adolf Leonard van Gendt|A.L.ファン・ヘント]]のプランが採用された。後にこの二人は共同で[[アムステルダム中央駅]]の設計に携わる。
 
ヘントによる、[[歴史主義ネオルネッサンス建築|ネオ・ルネサンス]]と[[新古典主義建築|新古典主義]]を折衷した威容あるファサードが特徴的なホールは1888年4月11日に落成した。
 
音楽堂に関する特別な知識を持たないヘントの設計した大ホールの空間は体育館や田舎中学の講堂のような直方体であり、あまつさえ片側の上層部分に外光を取り入れるための大窓が並ぶという音楽堂として致命的に非常識なものであったが、何故かオーケストラを入れて演奏してみると奇跡的に素晴らしい残響効果が起きた。