メインメニューを開く

差分

=== 鹿内家 ===
; ([[北海道]][[留萌郡]]留萌町([[留萌市]])・[[夕張郡]][[由仁町]]、[[東京都]])
:信隆のは鹿内徹、母はモヨといった<ref name="nakagawa_p234">[[中川一徳]]著『メディアの支配者(上)』 234頁</ref>。徹はもともと[[留萌町]]で[[営業写真館|写真屋]]を営んでいたが、小学校もまともに終えていないところへ一念発起し[[歯科医]]を目指した<ref name="nakagawa_p234"/>。徹とモヨは[[由仁町]]に移り住み、勉強に励む夫の代わりにモヨが当時としては珍しい女写真師として[[営業写真館|写真館]]を経営し[[家計]]を支えた<ref name="nakagawa_p234"/>。徹は写真館に歯科医院を併設、“鹿内歯科医院写真部”と称し、北海道の片田舎には珍しい天窓の付いたモダンな二階建て家屋を建てた<ref name="nakagawa_p235">中川一徳著『メディアの支配者(上)』 235頁</ref>[[日高町 (北海道)|日高地方]]の奥地に巡回診療に出かけるのを常としてい相当な山っ気あったようで、ついでに[[金]]や[[クローム]]鉱探しに熱中していたという<ref name="nakagawa_p235"/>。そうかと思えば[[昭和]]の初期には、[[神道]]と[[ユダヤ教]]を融合させたような“鹿内教”ともいうべき怪しげな[[宗教]]に熱中した<ref name="nakagawa_p235"/>。信隆は女写真師の[[草分け]]を母に、[[歯科医]]にして[[山師]]、[[宗教家]]を父に持つという一風変わった環境で育った<ref name="nakagawa_p235"/>
[[中川一徳]]著『メディアの支配者(上)』によると、
:父・徹はもともと[[留萌町]]で[[営業写真館|写真屋]]を営んでいたが、小学校もまともに終えていないところへ一念発起し[[歯科医]]を目指した。徹とモヨは[[由仁町]]に移り住み、勉強に励む夫の代わりにモヨが当時としては珍しい女写真師として[[営業写真館|写真館]]を経営し[[家計]]を支えた。徹は写真館に歯科医院を併設、“鹿内歯科医院写真部”と称し、モダンな二階建て家屋を建てた。また相当な山っ気があったようで、ついでに[[金]]や[[クローム]]鉱探しに熱中していたという。そうかと思えば[[昭和]]の初期には、[[神道]]と[[ユダヤ教]]を融合させたような“鹿内教”ともいうべき怪しげな[[宗教]]に熱中した。信隆は女写真師の[[草分け]]を母に、[[歯科医]]にして[[山師]]、[[宗教家]]を父に持つという一風変わった環境で育った。
 
:信隆の実の親は徹とモヨではなく、“I”“I”といい六歳の時に[[養子]]に出されたことになっている<ref name="nakagawa_p239">中川一徳著『メディアの支配者(上)』 239頁</ref>。生まれたのも[[留萌町]]である<ref name="nakagawa_p239"/>。ただ両家ともに信隆はたしかに徹、モヨの実子に違いないと信じている<ref name="nakagawa_p239"/>。たしかに“I“I家”は信隆の父方の[[祖母]]が後妻として嫁いだ先であり、また徹二十四歳、モヨ十八歳の若さで信隆が生まれたことになるから、しばらく“I家”に預けられたということなのかもしれない<ref name="nakagawa_p239"/>。いずれにしろ幼少期に、信隆は[[留萌町]]から[[由仁町]]の鹿内家に引き取られたということになるのだろうが、その詳しい事情はいまとなっては判然としない<ref name="nakagawa_p239"/>。それより不可解なのは、歴代の秘書はもちろん家族もその詳しい経緯を知らないことだというである<ref name="nakagawa_p240">中川一徳著『メディアの支配者(上)』 240頁</ref>
 
:元秘書の一人は「鹿内さんが[[養子]]になっていることは、業務の中で、[[戸籍]]や一族の関係図などを見た秘書は知っていたが、事情を知っている者は誰もいなかった」という<ref name="nakagawa_p240"/>。誉田によれば、「産経ではかつて社会部出身の一部の幹部を中心に鹿内さんの生い立ちにまで遡って調べる動きがあった<ref name="nakagawa_p240"/>。反鹿内の気運は産経で折に触れてくすぶっていたから、いつか狼煙をあげるためのネタを集めていたとも言えるし、より直接的には自分の身を守るための武器にしようとした者もいた<ref name="nakagawa_p240"/>。ありていに言えば、“メディアの巨人として脚光を浴びる鹿内というのは出自もはっきりしない、インチキではないのか”という見方が背景にあったということです」という<ref name="nakagawa_p240"/>。また誉田によれば、秘書室あてに、いわゆる情報屋とも[[興信所]]ともつかないところから、信隆の[[家系]]を調べた報告書が送りつけられたこともあった<ref name="nakagawa_p240"/>。「あなたはこういう家の出身ですね、と[[養子]]の事実が書いてあった<ref name="nakagawa_p240"/>。鹿内さんに『大変です。こんなものが来ました』と報告したら、『カネを払って処理するように』ということだった」という<ref name="nakagawa_p241">中川一徳著『メディアの支配者(上)』 241頁</ref>。雄弁な権力者に潜む“空白”が必然的に招き寄せるのは、憶測とネガティブな噂の類である<ref name="nakagawa_p241"/>
 
* 父・'''徹'''([[歯科医]]、[[山師]]、[[宗教家]])
* 妻・'''英子'''([[菊池寅七]]の次女)
:[[1922年]]([[大正]]11年)4月生 ~
:サンケイ出身の高名な小説家に、英子が信隆の[[伝記]]の執筆を依頼したことがある。[[京都]]の有名な[[料亭]]で小説家夫妻と会食したとき、英子が、あんまり信隆を[[侮蔑|どこの馬の骨]]呼ばわりするので、小説家はあきれ果て、結局、この話を断わってしまったという<ref>[[佐野眞一]]『あぶく銭師たちよ!―昭和虚人伝』246頁</ref>。
* 長男・'''[[鹿内春雄|春雄]]'''(元[[フジサンケイグループ]]会議議長)
:[[1945年]]([[昭和]]20年)5月生 ~ [[1988年]](昭和63年)4月没
* 春雄の妻・'''[[頼近美津子|美津子]]'''([[旧姓]]頼近、元[[日本放送協会|NHK]][[アナウンサー]])
:[[1955年]](昭和30年)8月生 ~ [[2009年]]([[平成]]21年)5月没
* 長女・'''寛子'''(女優'''[[奈月ひろ子]]'''、[[石川県]]能登の[[山林]]王で青年[[実業家]]と称するHと結婚するが後に[[離婚]])
:[[1942年]](昭和17年)8月生 ~
:当時、青年実業家と称するHの身辺調査と娘の[[不祥事|スキャンダル]]潰しを命じられたのが、秘書になってまだ日の浅い誉田だった。誉田によれば「H家が山林王だったというのはウソではないが、[[登記簿]]を調べると片っ端から[[抵当]]に入っているし、青年[[実業家]]として[[ゴルフ場]]の計画を進めているといった話もよくよく聞くと怪しかったが、鹿内さんは娘かわいさのあまりそれもしようがないと…。その一方で、彼女の女優時代のスキャンダルが書かれた情報誌が送りつけられ、Hも心配しだした。僕は土砂降りのなかHを連れ、東中野のドブ板を越えていくようなところに住んでいた情報誌の主宰者を探しだし、『全部デタラメだ』と言わせて記事を潰したりした」という<ref>中川一徳著『メディアの支配者(下)』79頁</ref>
* 寛子の娘・'''[[鹿内植|植]]'''(フジテレビプロデューサー)
* 次女・'''厚子'''(夫は[[鹿内宏明]]([[旧姓]]佐藤、元フジサンケイグループ会議議長))
匿名利用者