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[[グプタ朝]]の[[チャンドラグプタ2世]]のとき、この地がグプタ朝の重要な所領となり、マールワーは[[天文学]]、[[占星術]]が発達し、「[[シャクンタラー]]」で知られる詩人[[カーリダーサ]]の出身地としても知られた。
 
[[528年]]、[[:en:Aulikaras]]のマールワー王{{仮リンク|ヤショーダルマン|en|Yasodharman}}が[[エフタル]]の{{仮リンク|ミヒラクラ|en|Mihirakula}}を破って、[[カシミール]]に敗走させた。
[[プラティハーラ朝]]は、この地方から台頭し、[[カナウジ]]に遷都して[[北インド]]の大半を征服することとなり、[[ラーシュトラクータ朝]]とこの地を巡って抗争することとなる。プラティハーラ朝が衰退すると、10世紀後半頃から[[パラマーラ朝]]の本拠となるなど[[ラージプート]]諸王朝の重要な所領であった。
 
[[プラティハーラ朝]]([[750年]]頃 - [[1018年]]あるいは[[1036年]])は、この地方から台頭し、[[カナウジ]]に遷都して[[北インド]]の大半を征服することとなり、[[ラーシュトラクータ朝]]とこの地を巡って抗争することとなる。プラティハーラ朝が衰退すると、10世紀後半頃から[[パラマーラ朝]]の本拠となるなど[[ラージプート]]諸王朝の重要な所領であった。
 
また13世紀以降は、[[イスラム]]王朝の進出、まず、1234年、[[奴隷王朝]]の[[シャムスッディーン・イルトゥトゥミシュ|イルトゥトゥミシュ]]によってウッジャインが攻撃されて古寺が破壊され、続く[[ハルジー朝]]時代に征服された。