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'''伊豆千代丸'''(いずちよまる)
 
*武田伊豆千代丸。[[室町時代]]の[[武将]]。[[甲斐国|甲斐]][[武田氏]]の[[武田信長]]の長子叔父の同国[[守護]][[武田信元]]の[[猶子]]となってその[[家督]]を継ぎ、跡部氏ら諸豪族を相手に各地を転戦するが、守護としての実権を手に取り戻ことはできなかった。『甲斐国志』によれば、永享5年(1433年)に[[跡部氏]]が[[輪宝一揆]]を従え伊豆千代丸を討とうとすると、父信長は鎌倉から戻り[[日一揆]]と共に伊豆千代丸に加勢するが、[[荒川河原の合戦]]で敗死した。別説として、反対派によって殺害されたとも、甲斐を逃れて[[元服]]後に父が興した[[上総国|上総]]武田氏第2代当主・[[武田信高]]となったとも言われている。
 
また、[[山梨県]][[甲州市]][[塩山市|塩山]]の熊野神社にある寛正3年(1462年)銘[[棟札]]に「武田伊豆千代丸」の名が見られ、これは[[武田信昌]]を指すと考えられている(秋山敬による)。