「アンリ2世 (ロレーヌ公)」の版間の差分

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最初にフランス王[[アンリ4世 (フランス王)|アンリ4世]]の妹[[カトリーヌ・ド・ブルボン (1559-1604)|カトリーヌ・ド・ブルボン]]と結婚したが、子をもうけないまま死別した。
 
次いで[[マントヴァ公国|マントヴァ]][[マントヴァの領主一覧|公]]および[[モンフェッラート侯国|モンフェッラート公]][[ヴィンチェンツォ1世・ゴンザーガ|ヴィンチェンツォ1世]]の娘[[マルゲリータ・ゴンザーガ (1591-1632)|マルゲリータ・ゴンザーガ]]と結婚し、生まれた2人の娘はいずれもロレーヌ公となる従兄弟たち(アンリの弟[[フランソワ2世 (ロレーヌ公)|フランソワ2世]]の息子)と結婚した。
*[[ニコル・ド・ロレーヌ|ニコル]](1608年 - 1657年) [[シャルル4世 (ロレーヌ公)|シャルル4世]]と結婚
*[[クロード・フランソワーズ・ド・ロレーヌ (1612-1648)|クロード]](1612年 - 1648年) [[ニコラ2世 (ロレーヌ公)|ニコラ2世]]と結婚
 
アンリの死後、ニコルとその夫シャルルの相続が複雑な問題となり、[[フランソワ2世 (ロレーヌ公)|フランソワ2世]]が一時公位に就いた後、息子シャルルに譲位する形で決着させた。