「オットー・ハーン」の版間の差分

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== マイトナーとの関係 ==
30年以上、一緒に研究を行ってきたが[[1938年]]、[[ナチス]]の迫害を避けるために、[[リーゼ・マイトナー]]は[[スウェーデン]]に移らざるをえなくなったが、連絡を取り合っていた。同年、ハーンはマイトナーに「[[ウラン]]の[[原子核]]に[[中性子]]を照射しても核が大きくならず、しかもウランより小さい[[原子]]である[[ラジウム]]の存在が確認された。何が起きているのか意見を聞きたい」<ref>後にハーンは確認したのがラジウムではなくバリウムだった事を発見した。[[http://en.wikipedia.org/wiki/Otto_Hahn]]</ref>という手紙を送った。マイトナーは、甥で物理学者であるオットー・ロベルト・フリッシュと共に[[原子核分裂|核分裂]]が起きた事を証明して、連名で発表した。
 
しかし、ハーンはナチスの圧力に負け[[ユダヤ人]]であるマイトナーを外した為、彼女はノーベル化学賞の受賞を逸している。受賞のスピーチでもハーンは、マイトナーの功績についてほとんど触れず、その後も核分裂を発見したのはマイトナーではなく、自分だと主張し続けた。