「ブルガリア社会党」の版間の差分

伊東孝之編著『東欧政治ハンドブック』を参照して加筆する。
(社会党に党名改称後の動きについて加筆)
(伊東孝之編著『東欧政治ハンドブック』を参照して加筆する。)
|議院代表職名 =
|議院代表氏名 =
|成立年月日 =1990年4月4日
|郵便番号 =
|本部所在地 =ソフィア
|議院 =[[ブルガリア国民議]]
|議員数 =32
|議員定数 =240
'''ブルガリア社会党'''(ブルガリアしゃかいとう、{{lang-bg|Българска социалистическа партия}}、{{lang-en|Bulgarian Socialist Party}})は、[[ブルガリア]]の[[政党]]。旧[[ブルガリア共産党]]の後継政党として、[[社会民主主義]]を標榜している。[[社会主義インターナショナル]]加盟政党。
 
== 沿革 ==
[[1989年]]の[[東欧革命]]の流れを受けて、ブルガリア共産党は[[マルクス・レーニン主義]]の放棄を決定。[[1990年]]4月に社会党に党名を改称した。改名直後に行われた[[1990年ブルガリア大国民議会選挙|憲法制定議会選挙]]では過半数を制し、当時の東欧圏における旧・共産系政党では唯一政権を維持することに成功した。しかし、1991年の[[1991年ブルガリア国民議会選挙|議会選挙]]では民主勢力同盟が第一党となり、政権を失った。2001年の[[2001年ブルガリア国民議会選挙|議会選挙]]以降は、[[ブルガリア社会民主党]]など他の中道左派政党と政党連合「ブルガリアのための連合」を結成して選挙に臨んでいる。
[[1989年]]の[[東欧革命]]の流れを受け、[[マルクス・レーニン主義]]の放棄を決定したブルガリア共産党が[[1990年]]4月、党名を改称して発足した。
 
[[1989年]]の[[東欧革命]]の流れを受けて、ブルガリア共産党は[[マルクス・レーニン主義]]の放棄を決定。[[1990年]]4月に社会党に党名を改称した。改名直後に行われた[[1990年ブルガリア大国民議会選挙|憲法制定議会選挙]](400議席)では旧共産党時代に培った組織力を活かす選挙戦を展開した結果、211議席を獲得して過半数を制し、当時の東欧圏における旧・共産系政党では唯一政権を維持することに成功した。しかし憲法制定後に行われた1991年の[[1991年ブルガリア国民議会選挙|議会選挙]](200議席)では民主勢力同盟が第一党となり、政権を失った。2001年の[[2001年ブルガリア国民議会選挙|議会選挙]]以降は、[[ブルガリア社会民主党]]など他の中道左派政党と政党連合「ブルガリアのための連合」を結成して選挙に臨んでいる。
== ブルガリア社会党最高評議会議長(党首)一覧 ==
 
== ブルガリア社会党最高評議会議長(党首)一覧 ==
* [[アレクサンドル・リロフ]](1990年 - 1991年)
* [[ジャン・ヴィデノフ]](1991年 - 1996年)
* [[セルゲイ・スタニシェフ]](2001年 - )
 
== 参考文献 ==
* [[伊東孝之]]編著『東欧政治ハンドブック 議会と政党を中心に』([[日本国際問題研究所]])
== 外部リンク ==
* [http://www.bsp.bg/ Official web site] {{bg icon}}
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